2014-06-01 | |
テーマ:祭り・イベント |
関連:聖隣寺 / |
毘沙門天大祭・信長公忌(聖隣寺)
今回ご紹介するのは
聖隣寺(せいりんじ)で行われた
毘沙門天大祭(びしゃもんてんたいさい)・信長公忌(のぶながこうき)です!
※聖隣寺は通常非公開のお寺です。
聖隣寺では
6月の第1日曜日に
毘沙門天大祭と信長公忌を
行っているんですよ~
ここで少しだけ聖隣寺の事に
触れておきますと・・・
聖隣寺は京都の亀岡市(京都市の北西)にあり
山号を護国山という臨済宗天竜寺派のお寺です。
1490年に創建したと伝えられ
もともとは栖林庵(せいりんあん)という
名称だったと言われているんですね。
そんな聖隣寺にはなんと
あの!織田信長(おだのぶなが)の供養塔があるんです!!
そのあたりは信長公忌の
ご紹介のところでお話するとしまして
まずは11時頃より行われた
毘沙門天大祭からレポートしていきましょう
11時頃、聖隣寺に着くと
普段は閉ざされているはずの
毘沙門堂が開かれていました
実はこの毘沙門堂
1年の内でも開かれるのは
なんと!6月の最初の日曜日である
今日だけなんだそうです!
つまり・・・激レア!な日なんですけれど
その理由は
毘沙門天大祭が行われる日だからなんですね
その後しばらくすると
住職の方らがこられ、毘沙門天大祭が行われます。
ちなみにこの毘沙門天は
明智光秀(あけちみつひで)が亀山城鎮守の目的で
国分寺から移したものと言われています。
さらにその後、聖隣寺に移したんですね。
また毘沙門天大祭はもともと
1月の初寅の日、寅の刻に行われていたそうで
お堂の中はとっても寒かったと
住職さんがおっしゃっていましたよ
※寅の日とは、日付を干支に当てはめた日の事です。
着込んでいても冬の時期に
お堂に入ると寒いのに
袈裟(けさ・お坊さんの衣装)だと
かなり寒そうですよね
現在では、信長公忌と同日に行われるようになり
五穀豊穣や家内安全などが祈願されています。
法要の途中には大般若経会(だいはんにゃきょうえ)という
経典を心の目で流し読み(転読・てんどく)する作法が行われていましたよ。
その後、一般の人もお焼香をし
毘沙門天大祭は無事終了しました。
法要が終わると
お札とお守りが頂けます
毘沙門天大祭の後は
境内にある信長の供養塔の前に移動し
信長公忌が行われます!
※ちなみに今年で432回忌です。
信長は天下統一を目前にしていましたけれど
光秀の裏切りにあい(本能寺の変)
1582年6月2日、49歳の人生に幕を下ろす事になったんですね。
ちなみになぜ光秀が信長を裏切ったのかは
今でもはっきりとした事はわからず
いろいろな諸説があって論争が絶えません
※そのあたりについて詳しくは、東梅宮 明智光秀の塚の記事をご覧下さい。
その後、一時は天下を取った光秀でしたが
1582年の山崎の合戦で
豊臣秀吉(とよとみひでよし)に敗れています。
この事から『3日天下』という言葉が生まれたんですよね
※ちなみに光秀は3日で死んだわけではないんですよ。
そして主を失った亀山城は
羽柴秀勝(はじばひでかつ)が
治めることになったと言われています。
羽柴秀勝は
秀吉の養子なんですけれど
なんとなんと!信長の4男だった人なんですよ!!!
また秀勝は秀吉主導で行われた
大徳寺での信長の葬儀の際には
喪主を務めたと伝わっています。
その後、1583年には聖隣寺に
供養塔を建立したんだそうですよ
こちらが信長の供養等です。
信長の院号である『総見院殿』と彫られています。
信長公忌は
10分ほど供養等の前でお経があげられ
一般の人もご焼香をあげることができましたよ。
ちなみに6月2日には京都市内の
ご興味のある方は行かれてみてはいかがでしょうか
そんな毘沙門天大祭・信長公忌が行われた聖隣寺の場所はコチラ↓
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