メモ2014-06-02
テーマ:お寺
関連:毘沙門天大祭・信長公忌(聖隣寺) / 

聖隣寺

今回ご紹介するのは亀岡市(京都市の北西)にある

聖隣寺

聖隣寺(せいりんじ)です。


ここ聖隣寺は通常非公開のお寺で

6月の最初の日曜日に行われる

毘沙門天大祭・信長公忌の日に

参詣することが出来るんですよ


石碑

聖隣寺は臨済宗天竜寺派のお寺で

山号を護国山と言います。


達磨大師

臨済宗のお寺という事で

三門の左隅には

達磨大師の像が安置されているんですね

※達磨大師は禅の開祖と言われている人物です。


聖隣寺

聖隣寺は

1490年に細川政有(ほそかわまさあり)の2男であった

至圓周悟禅師(しえんしゅうごぜんじ)によって

古世町地蔵ノ辻(現在の突抜町・つきぬけちょう)に養老の地として

造営したのが始まりと伝えられています


もともとは栖林庵(せいりんあん)という

名称だったそうですよ。


ちなみに後の亀山城主になった

小早川秀秋(こばやかわひであき)が

息子の菩提を弔うため

毎年寄進した亀山五ヶ寺の1つと言われています。

※小早川秀秋は関ヶ原の合戦で、勝負の行方を左右した『裏切り』をした人物として有名です。


では早速レポートしていきましょう


三門をくぐってまっすぐ歩いて行くと

手水鉢

左手に手水鉢と

三界萬霊(さんがいばんれい)と書かれた

石仏が安置されていました。


三界萬霊

三界萬霊の三界とは仏教における世界観の事で

・欲界(よくかい)

・色界(しきかい)

・無色界(むしきかい)

を指すんですね


欲界は、食欲、性欲、睡眠欲等の欲に

とらわれた生物の住む欲望の世界を言います。

※私達が住むこの世界は欲界に位置するというわけですよね。


色界は、欲望を離れた清浄な物質の世界で

欲界の上、無色界の下にあります。


無色界は、形のあるものから離れた最上の世界で

無色界の頂点を有頂天と言います


そして、三界萬霊の萬霊とは

欲界、色界、無色界の全てを指しているそうですよ。


つまり三界萬霊とは

あらゆる命あるものの霊を宿らせ

供養するという意味になるんだそうです


こちらは庫裏と

本堂

本堂になります!


本堂には釈迦牟尼仏が安置されています。

本堂には、ご本尊である

釈迦牟尼仏(ほうかんしゃかむにぶつ)が安置されています。


そして1年の内、開かれるのは1日限りと言われる

毘沙門堂は境内の角にありましたよ。


毘沙門堂

毘沙門堂の屋根には、細川家の家紋である『細川九曜』や豊臣家の家紋である『五七の桐』がありました。


こちらには鎌倉時代後期の作と伝わる

亀山市指定文化財の木造毘沙門天立像が

安置されています。


毘沙門尊天

もともと国分寺の守護の為に

千歳町毘沙門に祀られていたものを

明智光秀(あけちみつひで)が亀山城築城のおり

城の鎮護のために二の丸に移したと言われているんですね


さらにその後、小早川秀秋(こばやかわひであき)が

聖隣寺に移し安置したと伝わっているんですよ。


毎年6月の最初の日曜日には

毘沙門天大祭が行われています。

※毘沙門天大祭について詳しくは、毘沙門天大祭・信長公忌 2014(聖隣寺)の記事をご覧下さい。


そして境内墓地には

織田信長(おだのぶなが)の供養塔がありました!


織田信長の供養塔

信長の院号である『総見院殿一品泰厳大居士(そうけんいんでんいっぽんたいげんそんぎだいこじ)』が書かれています。


こちらは信長の4男で

豊臣秀吉(とよとみひでよし)の養子になった

羽柴秀勝(はしばひでかつ)が

清洲会議(きよすかいぎ)で亀山城を与えられた際

父である信長の供養塔を建てたんだそうですよ

※清洲会議について詳しくは養源院の記事をご覧下さい。信長は1582年の本能寺の変で、明智光秀の謀反に遭い、亡くなったといわれています。詳しくは、本能寺跡の記事をご覧下さい。


お堀跡だと思います。

お堀だと思います。お墓はこの上にありました。


今回は歴代の亀山城主が数多く出てきたので

順番がよくわからな~い

という人もいらっしゃると思いますので

時系列にそってご紹介しますね♪


まず初代城主は

明智光秀です


そのイメージがあまりにも強すぎて

亀山城 = 明智光秀

と覚えている人も多いと思います。


彼が山崎の合戦で敗れた後は

先ほどもご紹介しましたとおり

清洲会議で羽柴秀勝が城主になるんですね


その後、羽柴秀勝が亡くなったため

豊臣秀勝(秀吉の甥っ子)が城主になります。

さらにその後、小早川秀秋が城主となるですね。


羽柴秀勝と豊臣秀勝を同一人物と

混同してしまわないように注意して下さい


ちなみに少し余談なんですけれど

秀勝という人物はもう1人いるんです


その秀勝もなんと!秀吉の子だったんですよ。

一体いつ?と思うかも知れませんけれど

実は秀吉が1番最初に設けた子供の名前なんですね。


秀勝(実子)→ 秀勝(信長の4男)→ 秀勝(甥っ子)

という流れになり、3人の息子の名前が全員『秀勝』だったんです。


恐らく歴史上探しても

3人の息子の名前が同じという例は

ないのではないでしょうか


少し話がそれてしまいましたけれど

これでチョットややこしい

亀山城主のテスト問題が出題されても

今日の記事を読まれた方は

100点満点間違いなしだと思います。


そんな聖隣寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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