メモ2014-03-27
テーマ:神社
関連:神幸祭(須賀神社) / 追難招福豆まき祭り・節分祭(須賀神社) / 

須賀神社

今回ご紹介するのは

須賀神社

須賀神社(すがじんじゃ)です!


須賀神社は、聖護院(しょうごいん)がある地域にあり

この辺りの産土神(ウブスナガミ・万物を産み出す神)とされているんですね

※聖護院について詳しくは、寒中托鉢修行 2013(聖護院)の記事をご覧下さい。


また、1964年(昭和39年)に交通神社を分祀したので

交通神社石碑

交通安全の神様としても有名なんですよ~


ちなみに須賀神社は、全国にたくさんありまして

名前の由来は・・・


素戔嗚尊(スサノオノミコト)が

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒し

出雲国須賀(いずもこくすが)で

「吾此地に来て、我が御心すがすがし」

と言い、お宮を作ったことなんだそうです。

※ヤマタノオロチ退治のお話については貴船祭 2012(貴船神社)の記事をご覧下さい。


ではさっそくご紹介していきましょう


まず鳥居をくぐって

左手のほうに進んでいきますと

ニノ鳥居

ニノ鳥居があります。


ちょうど梅が咲いていて

とても綺麗でしたよ~。


額

こちらは鳥居にかかっていた額です。

須賀神社とともに交通神社も書かれていますね


ニノ鳥居をくぐると

拝殿

拝殿があります。

左に交通神社、右に須賀神社という並びで並んでいました。


本殿には素戔嗚尊と櫛名田比売(クシナダヒメ)

そして、久那斗神(クナドノカミ)

八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)

八衢比賣神(ヤチマタヒメノカミ)の

5柱が祀られています


こま札


須賀神社は鳥羽上皇(とばじょうこう)の皇后である

美福門院(びふくもんいん)が建てた

歓喜光院(かんきこういん)の鎮守社として

1142年(康治元年)に創祀されたものなんです

※歓喜光院は応仁の乱の戦火で消失、以後廃寺となったそうです。


もともとは今の平安神宮(へいあんじんぐう)の

蒼龍楼(そうりゅうろう)の東北にある天王塚で

岡崎神社の東天王社と相対して

西天王社と呼ばれていたそうです。


その後、鎌倉時代に

吉田神楽岡(吉田神社のある場所)にいき

還座記念と書かれた石

還座記念と書かれた石

1924年(大正13年)、須賀神社の御旅所であった 現在の場所に移ってきたようですよ。


拝殿前の白龍大明神・稲荷大明神

拝殿前の白龍大明神・稲荷大明神。商売繁盛、金運に恵まれお金もたまると信仰されているそうです。


ちなみに節分祭の日には

と~っても賑わい

境内の中が

追難招福豆まき祭り・節分祭

追難招福豆まき祭り・節分祭の様子

参詣者の方でいっぱいになります


なかでも、人気なのは

懸想文(けそうぶみ)を売っている

懸想文売りなんです。


懸想文とは、現代で言うラブレターの事で

懸想文を、鏡台やタンスの引き出しに入れておくと

着物が増え、美人になり、良縁を呼ぶんだそうです


懸想文売り

追難招福豆まき祭りの時の懸想文売りです。

懸想文売りは烏帽子(えぼし)に

水干姿(すいかんすがた)という独特の衣装で

梅の木の枝に懸想文を挿して

売っているんですよ。

※節分祭の様子は追難招福豆まき祭り・節分祭 2013(須賀神社)でご覧下さい。


また、5月の第2日曜日には

『角豆祭(ささげまつり)』とも言われる

神幸祭が行われます。

鳳輦(ほうれん)や剣鉾などが町内を練り歩くので

気になった方は見にいかれてみてはいかがでしょうか

※神幸祭については神幸祭 2012(須賀神社)の記事をご覧下さい。


そんな須賀神社の場所はコチラ↓


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