2012-05-13 | |
テーマ:祭り・イベント |
関連:追難招福豆まき祭り・節分祭(須賀神社) / 須賀神社 / |
神幸祭(須賀神社)
こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
5月13日に須賀神社(すがじんじゃ)で行われた
神幸祭です
毎年5月の第2日曜日に行われる神幸祭は
別名『角豆祭(ささげまつり)』とも言い
ささげ(大角豆・マメ科ササゲ属)のツルに
多くの『さや豆』がつくように
氏子地区の子孫繁栄を願い
鳳輦(ほうれん)や剣鉾、子供神輿などが町内を練り歩く祭です
14時少し前、京子が須賀神社に到着すると
鳳輦の神輿がちょうど出て来ました
※神事は13時から本殿で行われ、お祓いや祝詞(のりと)の奏上、関係者による玉串奉納が行われました。
この後、南北に通る『吉田東通(よしだひがしどおり)』へと鳳輦は移動します。
※吉田東通は徒歩1分ほどの距離にあります。
鳳輦は2005年に一度焼失したそうで、新たに新調されました。
ちなみに須賀神社に関して
簡単にご説明しますと
歴史は古く、869年に現在の平安神宮のあたりに社殿が創建された事に始まります。
しかし鎌倉時代後期
北条高時(第14代執権)が西国の倒幕勢力を抑える為に
京都へ軍を派兵し乱が起きます
須賀神社は戦火を避ける為に
北に位置する
吉田神楽岡(吉田神社がある吉田山の側)の地へ移動しました。
現在の場所に移されたのは
大正時代になってからなんですね。
ご利益は『縁結び』や『交通安全』です
2月に行われる節分祭では
烏帽子(えぼし)をかぶり
水干(すいかん)を着た覆面姿の男性が売る『懸想文(けそうふみ)』が
大変有名で
これを鏡台やタンスの引き出しに入れておくと
着物が増え、美人になり良縁を呼ぶと言われています
※懸想文とは現在の『ラブレター』の事です。
境内にある『白龍大明神・稲荷大明神』です。商売繁盛、金運の神として信仰されています。
さて、鳳輦が吉田東通に出ると
ここには3基の『剣鉾(けんぼこ)』と
10基以上もの子供神輿が待機しています。
子供神輿なのでサイズは小さいですけれど、装飾は豪華でした♪
どれも神輿の頭には鳳凰が付いていました。
子供神輿は、各氏子町から出ているようで
子供から大人まで
町内の方が中心となり力を合わせて神輿を引きます。
さて、いよいよ神輿が動き出します!
まずは剣鉾と鳳輦が先にスタートし
遅れる事20分、子供神輿も出揃い巡行が始まりました
それぞれの町内が1つになり
神輿を運ぶ姿は、地域の強い繋がりを感じますね♪
この周辺は、かつて『聖護院村(しょうごいんむら)』と呼ばれ
京都で有名な『聖護院八つ橋』や『聖護院大根』が
作られている事で知られています。
という事で、同じ氏子地区には
八ツ橋で有名な『聖護院八ツ橋(総本店)』もあります。
従業員の方が神幸列を出迎え
お茶を振舞っていらっしゃいましたよ。
この他にも、鳳輦は『聖護院(しょうごいん)』前で停車し、法要を受けていました。
そして最後に
神幸祭列の先頭を歩く『剣鉾』についてもご紹介します。
その高さ(6~7メートル)からも分かるように
近年は電線の影響で
持ち歩きにくくなったという事もあり
各地で行われる神幸祭では見る機会が少なくなった
非常に珍しい鉾です
剣鉾の1つ『葵』です。
通常は横に寝かせ、運びますけれど
度々、鉾を立て『鉾差し』を行います
剣鉾を腰で固定し、上下に揺らし
先に付いている鈴を鳴らすんですね
これには悪霊退散の意味があるそうです
失敗すると大惨事にもなりかねない『鉾差し』ですけれど
大きな音で鈴が鳴る度に
町内の方からも拍手が沸いていました。
須賀神社の剣鉾は5種類(『葵』『菊』『剣』『菖蒲』『橘』)の
剣鉾があるそうで、毎年その中から3つが
神幸祭で使われます。
※今年は『菖蒲』『葵』『橘』の3つが出ていましたよ♪
こうして神幸列は、御旅所などを回りながら
鳳輦は再び須賀神社へ
子供神輿は各町内へと帰っていくそうですよ♪
そんな神幸祭が行われた須賀神社の場所はコチラ↓
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