今回ご紹介するのは
須賀神社(すがじんじゃ)です!
須賀神社は、聖護院(しょうごいん)がある地域にあり
この辺りの産土神(ウブスナガミ・万物を産み出す神)とされているんですね
※聖護院について詳しくは、寒中托鉢修行 2013(聖護院)の記事をご覧下さい。
また、1964年(昭和39年)に交通神社を分祀したので
交通安全の神様としても有名なんですよ~
ちなみに須賀神社は、全国にたくさんありまして
名前の由来は・・・
素戔嗚尊(スサノオノミコト)が
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒し
出雲国須賀(いずもこくすが)で
「吾此地に来て、我が御心すがすがし」
と言い、お宮を作ったことなんだそうです。
※ヤマタノオロチ退治のお話については貴船祭 2012(貴船神社)の記事をご覧下さい。
ではさっそくご紹介していきましょう
まず鳥居をくぐって
左手のほうに進んでいきますと
ニノ鳥居があります。
ちょうど梅が咲いていて
とても綺麗でしたよ~。
こちらは鳥居にかかっていた額です。
須賀神社とともに交通神社も書かれていますね
ニノ鳥居をくぐると
拝殿があります。
左に交通神社、右に須賀神社という並びで並んでいました。
本殿には素戔嗚尊と櫛名田比売(クシナダヒメ)
そして、久那斗神(クナドノカミ)
八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)
八衢比賣神(ヤチマタヒメノカミ)の
5柱が祀られています
須賀神社は鳥羽上皇(とばじょうこう)の皇后である
美福門院(びふくもんいん)が建てた
歓喜光院(かんきこういん)の鎮守社として
1142年(康治元年)に創祀されたものなんです
※歓喜光院は応仁の乱の戦火で消失、以後廃寺となったそうです。
もともとは今の平安神宮(へいあんじんぐう)の
蒼龍楼(そうりゅうろう)の東北にある天王塚で
岡崎神社の東天王社と相対して
西天王社と呼ばれていたそうです。
その後、鎌倉時代に
吉田神楽岡(吉田神社のある場所)にいき
還座記念と書かれた石
1924年(大正13年)、須賀神社の御旅所であった 現在の場所に移ってきたようですよ。
拝殿前の白龍大明神・稲荷大明神。商売繁盛、金運に恵まれお金もたまると信仰されているそうです。
ちなみに節分祭の日には
と~っても賑わい
境内の中が
追難招福豆まき祭り・節分祭の様子
参詣者の方でいっぱいになります
なかでも、人気なのは
懸想文(けそうぶみ)を売っている
懸想文売りなんです。
懸想文とは、現代で言うラブレターの事で
懸想文を、鏡台やタンスの引き出しに入れておくと
着物が増え、美人になり、良縁を呼ぶんだそうです
追難招福豆まき祭りの時の懸想文売りです。
懸想文売りは烏帽子(えぼし)に
水干姿(すいかんすがた)という独特の衣装で
梅の木の枝に懸想文を挿して
売っているんですよ。
※節分祭の様子は追難招福豆まき祭り・節分祭 2013(須賀神社)でご覧下さい。
また、5月の第2日曜日には
『角豆祭(ささげまつり)』とも言われる
神幸祭が行われます。
鳳輦(ほうれん)や剣鉾などが町内を練り歩くので
気になった方は見にいかれてみてはいかがでしょうか
※神幸祭については神幸祭 2012(須賀神社)の記事をご覧下さい。
そんな須賀神社の場所はコチラ↓
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