2013-11-08 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その233
今回は京都検定の過去問をお届けします。
3級~1級までの問題を
出題しているので
腕試しにチャレンジしてみて下さいね
では1問目です。
【問題】
平安後期、天皇や中宮の発願で白河の地に建立された寺院を総称して何と呼ぶか。
ア.三門跡(さんもんぜき)
イ.四円寺(しえんじ)
ウ.京都五山(きょうとござん)
エ.六勝寺(ろくしょうじ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
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では、答えですっ。
【答え】
エ.六勝寺
六勝寺とは
『勝』という字が付く
6つのお寺の事なんですよ。
その6寺とは
・法勝寺(ほっしょうじ)
・尊勝寺(そんしょうじ)
・最勝寺(さいしょうじ)
・円勝寺(えんしょうじ)
・成勝寺(せいしょうじ)
・延勝寺(えんしょうじ)
です
※法勝寺について詳しくは、白河天皇陵(成菩提院陵)の記事をご覧下さい。
ちなみに白川の地とは
現在の左京区・岡崎の周辺の事で
付近には
岡崎神社や
平安神宮があります。
※それぞれについて詳しくは、岡崎神社 その1、岡崎神社 その2、平安神宮の記事をご覧下さい。
続いては2問目です。
【問題】
明治初期、舎密局(せいみきょく)・女紅場(じょこうば・にょこうば)・勧業場の設置、新京極(しんきょうごく)の開通などを推進したのは誰か。
ア.槇村正直(まきむらまさなお)
イ.北垣国道(きたがきくにみち)
ウ.内貴甚三郎(ないきじんざぶろう)
エ.西郷菊次郎(さいごうきくじろう)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.槇村正直
槇村正直は
明治時代に活躍した政治家で
第2代京都府知事だった人です。
日本で最初の博覧会を開催したり
小学校や中学校の制度を作ったり等
色々な政策を行ったと言われています
ちなみに舎密局とは
理化学技術の研究機関で
女紅場とは
女性に読み書き算盤や機織などを教えた
教育機関の事です。
新京極(新京極通り)は
南北に走る約500メートルの
娯楽街です
新京極通りには
蛸薬師堂(たこやくしどう)や
染殿院(そめどのいん)
錦天満宮(にしきてんまんぐう)などの
お寺や神社が点在しているんですよ。
※それぞれについて詳しくは、蛸薬師堂(永福寺)、染殿院、錦天満宮の記事をご覧下さい。
引き続き3問目です。
【問題】
永承7年(1052)、父である藤原道長(ふじわらのみちなが)の別荘・宇治殿を仏寺に改め、平等院としたのは誰か。
ア.藤原兼通(ふじわらのかねみち)
イ.藤原頼通(ふじわらのよりみち)
ウ.藤原通俊(ふじわらのみちとし)
エ.藤原頼長(ふじわらのよりなが)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.藤原頼通
藤原頼通は
藤原道長の長男であり
平安時代中期の公卿です。
別荘からお寺になった理由は
平安時代後期に流行っていた
『末法思想(まっぽうしそう)』によるものだと言われています
※末法とは釈迦が亡くなってから、だんだん仏法が衰えて仏法が滅び天変地異が頻発するという思想の事です。
そんな末法の不安から逃れる為に
極楽浄土を願って
宇治殿をお寺に改めたというわけなんですね。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので、選択肢ではありません。
ズバリでお答えください~っ。
【問題】
平安中期以降、内裏(だいり)が焼失したときなどに、天皇が一時的に居住した仮皇居を( )という。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
里内裏(さとだいり)
内裏とは天皇が住み
儀式や執務などが行われていた場所の事です。
里内裏の多くは外戚の公家宅だったそうで
内裏が火災になる度に
天皇は移り住んだと言われています
ちなみに現在の京都御所は
里内裏の1つだったそうですよ。
光厳天皇(こうげんてんのう・北朝初代天皇)が
『土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)』を
住居としてからは、そのまま定着していったと言われています。
※南朝・北朝について詳しくは、天龍寺 その1の記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました!
皆さんは何問正解されましたか?
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