2011-10-18 | |
テーマ:史跡 |
白河天皇陵(成菩提院陵)
こんにちは京子です。
本日、ご紹介する神社は伏見にあります
天皇のお墓である・・・
白河天皇陵(成菩提院陵・じょうぼだいいんのみささぎ)です。
さて、この白河天皇は歴代の天皇の中でも
なかなかのキレものであり、とってもビッグな方なんですね。
(・∀・)ノでは、時代背景と一緒に見て行きましょう♪
天皇稜なので、もちろん宮内庁の管轄です。
時は平安時代。
まずは、白河天皇のお父さんである
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)のお話を
少ししたいと思います。
この時代、藤原氏は次々と自分達の娘を天皇のお嫁さんにさせて
自分達は外祖父(がいそふ・母方のおじいちゃん)として
藤原氏の息のかかった孫を育てあげては、天皇にしていたんです。
つまり・・・藤原氏全盛の時代だったんですね。
※10円玉でおなじみの平等院などもこの時代に立てられたものです。
そんな中、ついに藤原氏を外祖父に持たない
後三条天皇が即位する事となりました。
※前任の後冷泉天皇と奥さん(藤原氏の娘)の間に息子が生まれなかったからなんですね。
という事で、力を持ちすぎていた藤原氏を
排除する動きに後三条天皇は出ちゃいます!
それが・・・
延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)。
この時代、荘園を有力豪族や公家らへ寄進する事が
横行していました。
この事が、朝廷の税収が思うように上がらない原因にも
なっていました。
これを把握すべく、後三条天皇が本格的に荘園整理令を出し
「朝廷が許可した荘園しか認めません!それ以外は没収します!」
と、ルールを厳しくし税収アップへと繋げました。
こちらは正面。これより先は残念ながら入る事は出来ませんでした。
そして、その後三条天皇の息子が
(・∀・)ノ白河天皇です。
これからは藤原氏の介入を防ぎ、天皇家の力を強くする為
新しいシステムを導入するんですね。
・・・それが院政(いんせい)です。
天皇という立場だと周りの目もあるし、
やらなきゃいけない事も多いし面倒なので
早々に息子に天皇を任せ(任せたのは当時8歳の息子・堀河天皇です)
上皇として、後ろで天皇を操るようになります。
白河天皇は城南宮に離宮を建て、ここで政治を取り仕切る事となりました。
※城南宮については、城南宮 その1、城南宮 その2をご覧下さい。
これまで藤原氏は力を持つ為に
天皇の側近(摂政・関白)になったり
おじいちゃんになったりして、天皇の許可を得ていたのに対して
院政を行えば
自分の息子を操る事なんて、いともたやすい事ですよね。
こうして白河天皇は48年間もの間、院政を行う事となります。
それに加え、父親同様に荘園整理に力を入れ
朝廷の強化に成功しました
そして、白河天皇は権力者としてその名を轟かせるのです!
ちなみに、来年の大河の主人公『平清盛』の本当の父親は
この白河天皇と言われているんですよね♪
白河天皇成菩提院陵と書かれています。
そんな白河天皇は、当時すごいお寺を京都に建てたと言われています。
それが・・・
法勝寺(ほっしょうじ)です!
ん?そんな名前のお寺あったっけ??と思った方々。
はい、今は無いんですね。
平安時代から室町時代まであったこの法勝寺。
境内にどどんと建っていたと言われているのが
全長80メートルの・・・・
(・∀・)ノ八角九重搭なんです.。
ちなみに東寺の五重塔が約55メートルですから
建設当時は、おそらく日本で一番高い建物だったでしょう。
つまりそれだけ、白河天皇は
「俺には力があるんだぞー!」と誇示し
そのシンボル・象徴として
京の都に建てたのが八角九重搭であり、法勝寺なのだったと思われます。
※以後、代々の天皇は『勝』のつく寺を建てたんですね。これを六勝寺と言います。
うーん、こうして改めて書いてみても
白河天皇ってすんごい人物だなぁと思いますね。
そんな白河天皇のお墓である白河天皇陵(成菩提院陵)の場所はコチラ↓
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