メモ2013-06-08
テーマ:お寺

金福寺

今回ご紹介するのは、現在サツキ(皐月)が見ごろの・・

金福寺

金福寺(こんぷくじ)です

この金福寺は、京都市左京区の一乗寺(いちじょうじ)にあるお寺で

近くには、吉川英治の小説・宮本武蔵で有名な

『一乗寺下がり松』や八大神社(はちだいじんじゃ)

この他にも詩仙堂(しせんどう)などがあります

詩仙堂について詳しくは詩仙堂 その1、詩仙堂 その2、詩仙堂 その3の記事をご覧下さい。


金福寺の石畳

沿道から、こちらの石畳の階段を上ります。


芭蕉庵の額がかけられた門

更にこちらの門をくぐり、中へと入ります。額には『芭蕉庵』と書かれているのが分かりますか?芭蕉庵については後ほどご説明させていただきますね。


金福寺の由来

金福寺の起源についてご説明しますと

864年に平安時代初期の僧・円仁(えんにん)が彫った

聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)を本尊として祀った事が

始まりと言われています。


その後、荒廃しますが江戸時代になり

圓光寺の僧であった鉄舟(てっしゅう)によって再興されました

※これを機に天台宗から臨済宗南禅寺派に改宗し、圓光寺の末寺となったんですね。


弁天堂

井伊直弼(いいなおすけ)の「恋人」と言われ、幕府の密偵と言われた『村山たか女(むらやまたかじょ)』寄進の弁天堂です。彼女に関しても、説明は後ほどさせていただきますね。


本堂

2つの門をくぐると見えてくるのが本堂です。

中には本尊・聖観音菩薩が安置されています


そして本堂の縁側から・・

枯山水庭園

白砂が綺麗にしきつめられた枯山水庭園を

ゆっくりと眺める事が出来ます。


サツキも綺麗に咲いていますね~。

時期にもよりますが、人もそれほど多くないので

人ごみがチョット苦手な人にもおすすめです。

落ち着いてお庭を楽しむ事が出来ますよっ。


枯山水庭園

ちなみに、こちらのお庭は江戸時代中期に作られたそうです。


サツキ

サツキの見ごろは、毎年6月上旬となっています。


ちなみに、金福寺を再興した鉄舟は

俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)と大変親しかったそうです。

生前、松尾芭蕉は鉄舟のもとに度々訪れ

境内にあった草庵に滞在したと言われているんですね。


その草庵と言うのが

枯山水の庭園の東側、小高い丘の上に建っている・・・


芭蕉庵

こちらの『芭蕉庵』です!

※中は三畳間の茶室になっているそうです。


この草庵は

一度、荒廃しますが

金福寺を訪れた与謝蕪村(よさぶそん・江戸時代中期の俳人)によって再興されました。

そして与謝蕪村は一門を引き連れ

ここで度々、句会を行ったそうですよ~


洛東芭蕉庵再興記

堂内には『洛東芭蕉庵再興記』があります。これは、芭蕉庵を再興した際に、与謝蕪村が寄せた俳文だそうです。


与謝蕪村について簡単にご説明しますと

彼は摂津国(せっつのくに・現在の大阪市天王寺区近辺)出身で

若くして、江戸へ上京し俳諧(俳句の源流)を学んだんですね


しかし、師匠の死をきっかけに、江戸を離れ

松尾芭蕉のように

句を詠みながら日本全国を行脚したと言われています

こうした事から、与謝蕪村は金福寺に訪れたのかもしれませんね。


与謝蕪村の墓

裏山には与謝蕪村の墓もありましたよ。この他にも、彼の弟子など、多くの俳人がここに眠っているそうです。


彼は『俳画』と呼ばれる

俳句を画で表現した手法の第一人者で

簡素に書いた画から

言葉や感情や季節を表現する技法を得意としていたそうです。

※与謝蕪村について詳しくは粟嶋堂の記事をご覧下さい。


続いて、弁天堂を寄進した

『村山たか女』についてもご説明したいと思います

冒頭でもご説明した通り

彼女は、江戸幕府の大老・井伊直弼の「恋人」と言われた女性で

幕府の密偵と言われた人物です。


幕末、黒船来航で揺れる日本において

幕府が天皇に許可なく日米修好通商条約を結んだ事などから

江戸幕府に対して非難の声が上がりました

そんな中、井伊直弼は

そういった人々を弾圧する『安政の大獄(あんせいのたいごく)』を行ったんですね。

※これにより水戸浪士や薩摩藩士など総勢100名以上が刑を受ける事となりました。中でも吉田松陰の処刑は有名ですよね。


この時、村山たか女は

江戸にいる井伊直弼の密偵となり

安政の大獄に大きく加担したと言われています

※つまり、スパイとなって江戸幕府に情報を流していたんですね。


しかしその後、『安政の大獄』の報復行為ともいえる

『桜田門外の変』において井伊直弼が暗殺されると

密偵であった村山たか女も

土佐・長州藩ら、尊王攘夷派の武士に捕らえられ

三条河原に3日3晩晒されました。

※『安政の大獄』について詳しくは圓光寺の記事をご覧ください。


たか女晒し者の図

堂内には『たか女晒し者の図』を展示してしました。


結果的に女性ということで死罪を免れた後

尼として、この金福寺に出家する事となったんですね。


村山たか女の参り墓

『村山たか女の参り墓』もあります。本墓はここから北東に400メートル程の距離にある圓光寺にあります。


それから67歳の生涯を終えるまで

ここで14年もの間、井伊直弼の菩提を弔ったと言われています。


という事で、今回は

松尾芭蕉や与謝蕪村、村山たか女ゆかりのお寺で

現在サツキが見ごろの金福寺をご紹介させていただきました

場所はコチラ↓


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