メモ2012-10-24
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その103

こんにちは京子です

今回も京都検定の過去問をお届けします。


写真と解説付きですので

是非、問題にチャレンジしてみてくださいね


では第1問目!


【問題】

東寺の五重塔

東寺の五重塔は、現存する木造塔では最も高く、京都の景観的シンボルとなっているが、その総高は約何メートルか。

ア.35メートル

イ.45メートル

ウ.55メートル

エ.65メートル

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

ウ.55メートル

国内最高の木造塔である東寺の五重塔は

現在、5代目で

1644年に、江戸幕府3代将軍『徳川家光』によって寄進されました。


塔の内部に関して、一階部分(初層・しょそう)は

期間限定で公開もされて

中心には『心柱』と呼ばれる柱が伸び

それを取り囲むように仏像が安置されています

そして、壁や柱、天井には極彩色の模様が

描かれているんですよ。

※詳しくは、東寺(教王護国寺) その2の記事をご覧下さい。


では、第2問目にいってみましょう!!


【問題】

宋から喫茶の風習を持ち帰り、禅宗と共に茶を広めた栄西が開いた寺院はどこか。

ア.建仁寺

イ.大徳寺

ウ.高山寺

エ.南禅寺

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

建仁寺

ア.建仁寺

1202年、鎌倉幕府2代将軍『源頼家』が土地を寄進し建立されたお寺です。

風神雷神図屏風

建仁寺は、江戸時代初期の画家『俵屋宗達』が描いた

『風神雷神図(ふうじんらいじんず)屏風』を所有しているお寺で

堂内には現在も、レプリカではありますが展示されていますよ

※原本は京都国立博物館に寄託されています。

建仁寺に関して詳しくは『建仁寺』の記事をご覧下さい。


では3問目にいってみましょう!


【問題】

日本に饅頭を伝えた林浄因(りんじょういん)ゆかりの寺院で、織田有楽斎の茶室如庵(じょあん)の写し「水月亭(すいげつてい)」が有名な建仁寺の塔頭はどこか。

ア.霊源院(れいげんいん)

イ.正伝永源院(しょうでんえいげんいん)

ウ.大中院(だいちゅういん)

エ.両足院(りょうそくいん)

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

両足院

エ.両足院

建仁寺の境内塔頭である両足院

仏の尊称のひとつである

『両足尊』(2つの足を持つ最も尊い者の意味)から名前が取られお寺です


通常は非公開ですが、春・夏・秋と年に数度

期間限定で公開されています。


両足院

右手奥に見えるのが水月亭です。

織田有楽斎(おだうらくさい)は信長の弟にあたる人物で

千利休に茶を学んだ彼は

利休十哲の1人にも数えられています


両足院について詳しくは両足院 その4を、織田有楽斎については正伝永源院の記事をご覧下さい。


では最後の問題です。

1級からの出題になりますので選択肢ではありません

ズバリでお答え下さい!


【問題】

鷹峯

近衛信尹(このえのぶただ)松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とともに寛永の三筆として有名な(   )は多才な文化人として知られ、晩年、洛北鷹峯(たかがみね)に土地を与えられて工芸制作に励んだ。

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

彼は江戸時代初期の人物で

書家、陶芸家、画家と様々な顔を持つ芸術家です。

光悦は時の将軍、家康により

鷹峯の土地を寄進され芸術村を作りました。


それまでは、辻斬りや

追い剥ぎ(おいはぎ・通行人を襲い、衣服・持ち物などを奪い取ること。)が

絶えなかった鷹峯が

彼の協力の下

様々な工芸の職人らを移り住まわせ

芸術の集落へと生まれ変わらせたんですね


光悦寺

現在、この地には

彼の名前から取られた『光悦寺』あります。

※本阿弥光悦については光悦寺の記事をご覧下さい。

という事で本日も4問出題させていただきました

皆さんは何問正解されましたか?





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