こんにちは京子です
今回も京都検定の過去問をお届けします。
写真と解説付きですので
是非、問題にチャレンジしてみてくださいね
では第1問目!
【問題】
東寺の五重塔は、現存する木造塔では最も高く、京都の景観的シンボルとなっているが、その総高は約何メートルか。
ア.35メートル
イ.45メートル
ウ.55メートル
エ.65メートル
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.55メートル
国内最高の木造塔である東寺の五重塔は
現在、5代目で
1644年に、江戸幕府3代将軍『徳川家光』によって寄進されました。
塔の内部に関して、一階部分(初層・しょそう)は
期間限定で公開もされて
中心には『心柱』と呼ばれる柱が伸び
それを取り囲むように仏像が安置されています
そして、壁や柱、天井には極彩色の模様が
描かれているんですよ。
※詳しくは、東寺(教王護国寺) その2の記事をご覧下さい。
では、第2問目にいってみましょう!!
【問題】
宋から喫茶の風習を持ち帰り、禅宗と共に茶を広めた栄西が開いた寺院はどこか。
ア.建仁寺
イ.大徳寺
ウ.高山寺
エ.南禅寺
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.建仁寺
1202年、鎌倉幕府2代将軍『源頼家』が土地を寄進し建立されたお寺です。
建仁寺は、江戸時代初期の画家『俵屋宗達』が描いた
『風神雷神図(ふうじんらいじんず)屏風』を所有しているお寺で
堂内には現在も、レプリカではありますが展示されていますよ
※原本は京都国立博物館に寄託されています。
では3問目にいってみましょう!
【問題】
日本に饅頭を伝えた林浄因(りんじょういん)ゆかりの寺院で、織田有楽斎の茶室如庵(じょあん)の写し「水月亭(すいげつてい)」が有名な建仁寺の塔頭はどこか。
ア.霊源院(れいげんいん)
イ.正伝永源院(しょうでんえいげんいん)
ウ.大中院(だいちゅういん)
エ.両足院(りょうそくいん)
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では、答えですっ。
【答え】
エ.両足院
仏の尊称のひとつである
『両足尊』(2つの足を持つ最も尊い者の意味)から名前が取られお寺です
通常は非公開ですが、春・夏・秋と年に数度
期間限定で公開されています。
右手奥に見えるのが水月亭です。
織田有楽斎(おだうらくさい)は信長の弟にあたる人物で
千利休に茶を学んだ彼は
利休十哲の1人にも数えられています
※両足院について詳しくは両足院 その4を、織田有楽斎については正伝永源院の記事をご覧下さい。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません
ズバリでお答え下さい!
【問題】
近衛信尹(このえのぶただ)松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とともに寛永の三筆として有名な( )は多才な文化人として知られ、晩年、洛北鷹峯(たかがみね)に土地を与えられて工芸制作に励んだ。
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では、答えですっ。
【答え】
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
彼は江戸時代初期の人物で
書家、陶芸家、画家と様々な顔を持つ芸術家です。
光悦は時の将軍、家康により
鷹峯の土地を寄進され芸術村を作りました。
それまでは、辻斬りや
追い剥ぎ(おいはぎ・通行人を襲い、衣服・持ち物などを奪い取ること。)が
絶えなかった鷹峯が
彼の協力の下
様々な工芸の職人らを移り住まわせ
芸術の集落へと生まれ変わらせたんですね
現在、この地には
彼の名前から取られた『光悦寺』あります。
※本阿弥光悦については光悦寺の記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました
皆さんは何問正解されましたか?