2012-02-26 | |
テーマ:京都検定 |
京都検定過去問 その41
こんにちは、京子です!
本日は京都検定の過去問を出題させていただきます。
みなさんも一緒に挑戦してみてください★
では早速っ、第1問
【問題】
洛陽六阿弥陀巡りの一つ( )には、「みかえり阿弥陀」(重文)と呼ばれる仏像がある。
ア.誓願寺
イ.真如堂
ウ.永観堂
エ.安養寺
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.永観堂(えいかんどう)
本尊である『みかえり阿弥陀』は立像で
顔を左側に向けたとっても変わった姿勢をしています。
1082年、7代目法主(住職)である永観が
この阿弥陀像の周りを念仏して行道していたそうです。
すると、突然・・
阿弥陀像が壇を下り永観を先導し行道を始めたのです
驚きのあまり立ち尽くす永観に対して
阿弥陀は左肩越しに振り返り
「・・・永観、遅し」と伝えたと言われています
ちなみに、京都東山でも屈指の紅葉の名所としても知られていますよ~。
では、第2問っ!!
【問題】
本堂の血天井が有名な( )は、淀殿が父の菩提を弔うために建立された。
ア.養源院
イ.方広寺
ウ.妙法院
エ.法住寺
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.養源院
淀殿は、秀吉の側室であり『秀頼』を産んだ事でも知られています。
ちなみに、彼女の父親というのは
戦国武将の浅井長政(あざいながまさ)。
彼は『姉川の戦い(1570年)』で信長によって討たれたんですね
娘である
・茶々(ちゃちゃ・後の淀殿)
・お初(はつ)
・お江(おごう)
は、2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」でも
クローズアップされていたので知っている方も多いかと思います。
※詳しくは養源院の記事をご覧下さい。
では、第3問!!
【問題】
江戸時代の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が下絵を描いたと伝えられる五百羅漢などの石仏群がある寺院はどこか。
ア.海宝寺
イ.瑞光寺
ウ.石峰寺
エ.仏国寺
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.石峰寺(せきほうじ)
京都の天才絵師『伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)』
※若冲に関して詳しくは両足院 その3の記事をご覧下さい。
そんな彼が、石峰寺に庵を結び
そこで下絵を描き、当時の住職である密山(みつざん)と協力して
制作されたのが
『石仏五百羅漢(せきぶつごひゃくらかん)』と呼ばれる石像郡。
10年弱もの歳月をかけて取り組まれた、こちらの作品は
釈迦の誕生から涅槃(ねはん・釈迦の死の様子)に至るまでを
コンセプトとして作られた大作なんですよ
※詳しくは石峰寺の記事をご覧下さい。
では、最後は1級の問題です★
選択問題ではありませんので、ズバリお答え下さい!!
【問題】
古くから方除けの神として信仰を集める神社( )は、後鳥羽上皇が流鏑馬に事よせて諸国の兵を募り、承久の乱を起こしたことで知られる。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
城南宮(じょうなんぐう)
承久の乱とは鎌倉時代(1221年)に起こった乱です。
朝廷と幕府の力関係が肉薄する中
鎌倉幕府将軍不在を狙って
後鳥羽上皇が権力を取り戻そうと起こした乱であり
このタイミングで鎌倉幕府を潰しちゃおうと考えていたみたいです
その挙兵の際に後鳥羽上皇は
城南宮で「流鏑馬(疾走する馬上から的に矢を射る、日本の伝統的な儀式)をする」
という名目で大勢の武士を集めた事が乱の発端だったようです。
当時、城南宮のすぐ側にあった『鳥羽離宮(鳥羽殿)』は
150年に渡って上皇(元・天皇)が院政を行った所であり
政治や文化の中心地だったんですね
という事で、本日も4問出題させていただきました~!!
皆さんは何問正解されましたか?
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