2012-01-27 | |
テーマ:お寺 |
関連:若冲忌(石峰寺) / |
石峰寺
こんにちは、京子です
本日ご紹介するお寺は・・・
石峰寺(せきほうじ)です
こちらは黄檗宗(おうおばくしゅう)の寺院になります。
朱色の竜宮造りの門が印象的ですね
ちなみに黄檗宗とは
明からやってきたお坊さん隠元(いんげん)を祖とした宗派なんです。
石峰寺は、1713年に萬福寺(黄檗宗の本山)の住職だった
千呆性案(せんがいしょうあん)により
禅道場が建てられた事に始まります。
門をくぐると龍の鱗を模した参道が見えます。
左右には季節を彩る様々な花が咲いているんですけれど
その中でも、石峰寺は『南天』が非常に有名なんです。
雪が積もれば、赤と白のコントラストなんかも
綺麗なんでしょうね~♪
南天は『難を転じる』の語呂合わせでもあり
おめでたい植物とされているんですよ
この他にも石峰寺には
京都の天才絵師『伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)』が手がけた
石仏五百羅漢(せきぶつごひゃくらかん)があります。
若冲は江戸中期の画家で
京都の台所である錦市場の
青物問屋(野菜の卸業者)の
跡継ぎ息子として生まれました
代表作『動植綵絵(どうしょくさいえ)』をはじめ
彼のモチーフには鶏や植物が数多く登場する事でも知られています。
※若冲の絵のスゴさに関しては両足院 その3の記事でじっくり解説しています。
石仏五百羅漢に関する歌の石碑もありました。これを書いた鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)は大正から昭和初期にかけて活躍した京都出身の俳人だそうです
庫裏(くり)です。お坊さんの食事などを用意する所ですね。その昔は数々のお堂があったそうですけれど、大正・昭和の火災により現在は庫裏と本堂を残すのみとなっています。
本堂です。独特のテイストの模様が施されていますね。現在の本堂は昭和60年に再建されました。
そんな彼が、石峰寺に庵を結び
そこで下絵を描き、当時の住職である密山(みつざん)と協力して制作したのが
『石仏五百羅漢(せきぶつごひゃくらかん)』と呼ばれる石像郡なんですね
10年弱もの歳月をかけて取り組まれた
この作品は
釈迦の誕生から涅槃(ねはん・釈迦の死の様子)に至るまでを
コンセプトとして作られた大作です
釈迦を中心に、取り囲むように鳥獣や
十大弟子(優れた釈迦の弟子)などの様々な石像
約500体が石峰寺の裏山に点在し並べられています。
これらの石像は、若冲が手がけた事から
別名『若冲五百羅漢』とも呼ばれているんですよ
※残念ながら羅漢像は撮影禁止でした。是非、直接ご覧になってくださいね。
本堂右手を進むと、若冲のお墓へ行く事が出来ます。
若冲のお墓です。右手の円柱の石は、江戸後期の書家・画家である貫名海屋(ぬきなかいおく)撰文の筆塚です。
ちなみに、羅漢とは
尊敬や施しを受けるに相応しい聖者の事を指し
釈迦の説法を聞き、釈迦の入滅後
その教えを広めた者の事を言うんですね。
そういえば、彼の作品には
釈迦の涅槃を野菜に見立て描かれた
「果蔬涅槃図(かそねはんず)」なんていうのもあるんですよね~♪
若冲は独特の視点を持ち創作性に優れた絵師だったんですね
羅漢参道赤門です。この先に、石仏五百羅漢が並べられています。
若冲は晩年
石峰寺の門前に住居を構え、妹と二人で過ごしました。
生涯独身を通したんですね。
そして、85年の人生に幕を下ろし石峰寺に葬られました
以上の事から毎月9月10日には若冲忌も行われているんですよ。
そんな『石仏五百羅漢』がある石峰寺の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
雑談掲示板 新着