2011-04-28 | |
テーマ:神社 |
関連:ひいなまつり(市比賣神社) / 春季大祭(市比賣神社) / 女人厄除まつり(市比賣神社) / 天之真名井 / 重陽祭(敬老感謝)(市比賣神社) / カード感謝祭(市比賣神社) / |
市比賣神社
こんにちは京子です
本日ご紹介するのは
全国から女性が訪れる神社・・
市比賣神社(いちひめじんじゃ)です。
では、どうして女性が訪れるのかと言いますと
祭神が全て女性の神様だからなんですね
縁結びに始まり、子授け、女人厄除けのご利益があります。
とにかく境内に入ると・・・女性ばかりです!
あとは、ご夫婦の方が多いですね~。
男性一人で来るには
・・・ちょっぴり居心地が悪いかもしれません
さて、市比賣神社のはじまりはと言いますと
795年、桓武天皇の勅使により
藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が着手し建てられました。
では、どうして建てたのかと言うと・・・
京の市座(市場)の守護が目的です
※創建当初は、西本願寺のある辺りに建てられましたが、秀吉により現在の場所へ移動されました。
現在、京都市内にある「中央卸売市場」には分社が祀られています。
中央卸売市場以外にも全国の市場には市比賣神社の分社(市姫社)が多く祀られているんですね♪
入ってすぐ右手にある「姫みくじ」。中にはおみくじが中に入っていますけれど、こちらの入れ物に願い事を書いてもOKだそうです!
境内に小さな鳥居を発見。ちなみに市比賣神社の出入り口はマンションになっていて、少しびっくり♪
ガラスの向こう側に本殿があります。皇室守護の為、北向きに建てられています。市比賣神社から見て北の方角に御所があるんですね。
ちなみに、この市比賣神社を手がけた
藤原冬嗣はどういう人だったかと言いますと・・・
藤原北家(ふじわらほっけ)出身の人物であります。
藤原氏は天皇家の側近として
その名が知られていますけれど
藤原氏の中でも更に4つに分類されるんですね。
(藤原四家と言います。)
・藤原南家(ふじわらなんけ)
・藤原北家(ふじわらほっけ)
・藤原式家(ふじわらしきけ)
・藤原京家(ふじわらきょうけ)
そんな北家出身の藤原冬嗣が活躍したのが
810年 薬子の変(くすこのへん)です
これは、時の天皇である嵯峨天皇と
前天皇であった平城天皇(へいぜいてんのう)による
政変事件です。
※平安京に都が移ってからは、桓武天皇⇒平城天皇⇒嵯峨天皇と即位していました。
彼ら2人は兄弟なんですけど
平城天皇が、弟の嵯峨天皇に譲位した後から事件が起こります。
平城天皇が譲位した理由は病気によるものだったそうで
弟に天皇の座を譲り、彼はその後
平安京を離れ、奈良の平城京で過ごしていたそうです。
この時、平城天皇に近づいた一人の女性・・・
それが藤原薬子(ふじわらのくすこ)です
※彼女はちなみに藤原式家の娘であります。
彼女は平城天皇の妾であり
兄である藤原仲成(ふじわらのなかなり)と共に
平城天皇を誘惑し、
もう一度、平城京に都を遷都させようと画策するんですね。
※奈良に「南都六宗」と呼ばれる6つの宗派も盛んでしたから、平城京への再遷都に対して力添えがあったかもしれません。
つまり、平城天皇は仲成と薬子という2人の兄弟に
担ぎ上げられたと言えますね。
これにより、平安京と平城京が対立してしまうという結果に・・・
平城天皇は嵯峨天皇に対して
「もう一度、平城京(奈良)へ遷都しなさい」
と、言うんですね。
では、どっちが勝ったか?と言うと
以後の平安京を見れば分かる通り
嵯峨天皇に軍配があがります
ちょっぴり珍しい「カード塚」使い終わったカードをここで清めます、ちなみに毎年9月9日にはカード感謝祭という行事まで行われているんですよ。
隣には祈祷殿がありました。
絵馬にも、女性が描かれていますね。赤ちゃんを抱きかかえています。
この時、嵯峨天皇は協力な味方を付けます
※恐らくこの時、朝廷内もどっちに転ぶか分からない状況で、平城京へ行くものもいて、人の出入りが激しかったと思われます。
それが・・・
征夷大将軍であった
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と
もう一人が、藤原冬嗣なんです!!
嵯峨天皇の動きは素早く
まずは朝廷内でスパイがどこに潜んでいるかわかりませんので
機密事項を扱う機関を作ります
それが蔵人所(くろうどのところ)です。
そして、そのリーダー(蔵人頭・くろうどのとう)の1人に藤原冬嗣を任命するんですね。
嵯峨天皇が信頼した人間だけを集めた蔵人所。
平城天皇の言い分に頷くふりをしながら
水面下で動いていたというワケです。
藤原冬嗣は平城京へ潜り込み
向こうの動き(情報)を掴む事に成功します
更に奥には、もうひとつ鳥居があります♪鳥居をくぐると・・・
天之真名井(あめのまない)があります!「姫みくじ」の入れ物に願い事を書いた人は、ここに置いておくんですね。昔は皇子・皇女誕生の際には産湯としてこちらの水を利用されていたそうです。
こちらは摂社である植松稲荷社です。
その隣には祖霊社(それいしゃ)があります。霊を祀っている祠だそうです。
これにより
京に来ていた藤原仲成を捉え左遷!そして、薬子の官位も剥奪する事に成功します。
これは危ないと感じた平城天皇は
大急ぎで東国へ向かい挙兵の準備をしようとしますが
・・・そこに待ち構えていたのが坂上田村麻呂とその大軍!!
平城天皇は再び、平城京へと逃げ帰る事となります。
そして、これにより
とうとうギブアップした平城天皇は出家
ちなみに仲成は処刑、薬子は自殺
という結果で「薬子の変」は幕を下ろしました。
さて、最後に
市比賣神社で毎年行われている注目のお祭りというのが
3月3日に行われている「ひいな祭」です!
ひな祭りでなく、ひいな祭なんです。
このひいな祭・・・ひな祭りとドコが違うの?と言いますと
雛人形が飾られるので無く
なんと
実際に人間がひな壇に並ぶんですね~
お内裏様に、お雛様はもちろん三人官女、五人囃子にいたるまで人間による「ひな壇」を再現しているんですよ
五人囃子の雅楽に合わせて、三人官女の舞いが披露されたり
十二単の着付けも見る事が出来たり
貴族で行われていた遊びなど
当時を再現した催しが目白押しなんです
今年のひいな祭は過ぎちゃいましたけど
来年、ご興味のある方は是非
参加されてみてはいかがでしょうか
そんな女性に人気の市比賣神社の場所はコチラ↓
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