![]() | 2010-11-15 |
テーマ:お寺 |
妙蓮寺
こんにちは京子です
さて、本日は赤穂浪士の遺髪(いはつ)墓があり
本門法華宗の大本山である・・・
妙蓮寺(みょうれんじ)
ではでは・・まずはじめに
この本門法華宗(ほんもんほっけしゅう)は
日蓮というお坊さんを宗祖とする一派なのです
日蓮宗の一部には「不受不施派(ふじゅふせは)」と呼ばれる
仏教の過激派がいたんですね。
この事がその後
キーになりますので覚えて置いてください。
さて、その日蓮さんの意思である
「法華宗を全国に布教してくれ。」
という言葉を受けて立ち上がったのが彼の孫弟子である
日像(にちぞう)というお坊さん
そして上洛を果たし、妙蓮寺を建立しました。
秋から咲き始め、春に満開となる珍しい御会式桜(おえしきざくら)もあります。この秋というのは、日蓮が入滅した10月13日の事を指すそうです。
山門をくぐると
まず出迎えてくれるのは
鐘楼
なかなか変わった形をしていますよね~
袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)と言って、下層が末広がりになっているんですね。
末広がりとは・・・
(・∀・)ノなんとも縁起がいい鐘楼ですねっ
ちなみに、この袴腰鐘楼は京都では他に
大徳寺や、東福寺、仁和寺、酬恩庵にありますよ。
さて、そのまま先に進んでいくと
こちらが本堂です~
ちなみに、日蓮宗不受不施派は戦(いくさ)も行っていまして
(今から考えるとお坊さんが戦うなんて考えにくいかもしれないですけど)
それが
「天文法華の乱」ですよね
その際に、日蓮宗が攻撃をしたのは
・・延暦寺っ
しかーし、強い延暦寺の僧徒は
なんと・・・10万人で襲撃を開始
これにより
妙蓮寺を始めとする法華宗(日蓮宗)の寺院はどんどん焼き払われていってしまいます
それがきっかけで1536年に一度、大阪の堺に立ち退く事となるんですけど
再びこの京の町で再興される事となりました。
( ´Д`)しかーし!悲劇はそれだけでは終わらないのです
日蓮宗の開祖である、日蓮の銅像が立派に建っていました。
こちらは妙蓮寺椿です。この椿は「余の花はみな末寺なり妙蓮寺」という歌が残る程有名だそうです。
冒頭でもお伝えした赤穂浪士の遺髪(いはつ)墓は、赤穂浪士47士の1人、片岡源五右衛門(高房)の姉が建立しました。
お次は1788年っ
・・大火事に見舞われるのです(汗)
それが
天明の大火(てんめいのたいか)です。
燃えちゃったのは妙蓮寺だけでなく、京都の中心部を中心に起こった大火事。
被害は、3万7000軒の家が全焼
焼失した神社は37社!寺院は201寺!というんですから
・・・かなりの大規模ですよね。
さて、最後にこちらをご紹介
寺務所を通り、中に入ると・・・
十六羅漢石庭(じゅうろくらかんせきてい)
写真で見ると、中央左上にある一番大きい石が
臥牛石(がぎゅうせき)
牛が臥せた形をしている事からその名前がついたそうなんです。
じつは、この石・・誰がプレゼントしたかと言うと
豊臣秀吉っ
当時、妙蓮寺は、豊臣秀吉と親しかったようですね。
秀吉の聚楽第建設の為に妙蓮寺は、寺院の移動をした経緯もあります。
そんな十六羅漢石庭なんですけど、15個しか石がないんですよね。
(ひとつをお釈迦様と見立てている為)
じゃぁ・・その残り一つはドコにあるの~
と言いますと
その最後の一つは、そう・・・
自分自身なのです!
つまり私であり、この十六羅を見ているあなた自身。
自分が最後の羅漢となって完成されるお庭なのですね~っ
※ちなみに羅漢とは尊敬されるべき修行僧で仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことをそう呼ぶそうです。
この素敵なお庭以外にも、
11/2~11/14までの期間限定ではありますけれど
重要文化財である、長谷川等伯一派による
金箔が見事な「鉾杉図」を拝見したりなど
妙蓮寺を満喫した京子でした
場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内

雑談掲示板 新着