今回ご紹介するのは
京都市上京区(かみぎょうく)にある
本門法華宗(ほんもんほっけしゅう)の大本山
妙蓮寺(みょうれんじ)です。
妙蓮寺は、1294年(永仁2年)に
日蓮(にちれん)の弟子である日像(にちぞう)が
造り酒屋の柳屋中興(やなぎやなかおき)の帰依を受けて
柳屋の邸宅内にお堂を建てたことに始まります
初めは「卯木山妙法蓮華寺」という名前でしたが
柳屋の屋号から「柳寺(やなぎでら)」ともいいました
そのときの山号である卯木山は
柳の「木」と「卯」の文字を
分けたものだったといわれています。
その後、1536年(天文5年)の
天文法華の乱(てんもんほっけのらん)で
お寺が焼き払われ、堺に立ち退くことに
天文法華の乱は、延暦寺(えんりゃくじ)と日蓮宗の
宗教的な対立がもとでおこった戦いです。
詳しくは常寂光寺の記事をご覧下さい。
その後、京都の各地を転々として
1587年(天正15年)に現在地に移ってきました
1788年(天明8年)に起こった
天明の大火(てんめいのたいか)では
お寺のほとんどが焼失してしまいましたが
翌年に復興して現在に至ります
ちなみに天明の大火で燃えたのは
妙蓮寺だけではなくて、3万7000の民家
37の神社、201の寺院が焼失したそうです。
・・・かなりの大規模ですよね
それでは中に入っていきましょう
山門をくぐって出迎えてくれるのが
こちらの鐘楼(しょうろう)です。
なかなか変わった形をしていますよね~♪
この鐘楼は、袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)といって
下層が末広がりになっているんですよ。縁起がいい
ちなみに袴腰鐘楼は、京都では他に
さて、そのまま先に進んでいくと本堂があります。
本堂には、ご本尊である
十界曼荼羅(じっかいまんだら)が安置されています
日蓮宗の開祖、日蓮の銅像が建っていました。
こちらは妙蓮寺椿です。
連歌師の宗祇(そうぎ)が椿とお寺の繁栄を
次の歌で讃えました。
「余の花はみな末寺なり妙蓮寺」
世の中の花は全て妙蓮寺椿の末寺のようだ
という意味になります
こちらは赤穂浪士(あこうろうし)の遺髪を納めた
遺髪墓(いはつぼ)になります。
赤穂浪士47士の1人、片岡源五右衛門(高房)の姉が建立しました。
さて、最後にこちらをご紹介
寺務所を通り、中に入ると・・・
十六羅漢石庭(じゅうろくらかんせきてい)
写真で見ると、中央左上にある一番大きい石が
臥牛石(がぎゅうせき)です
牛が臥せた形をしている事からその名前がついたそうなんです。
じつは、この石・・誰がプレゼントしたかと言うと
豊臣秀吉(とよとみひでよし)です
当時、妙蓮寺は秀吉と親しかったようですね。
秀吉の聚楽第(じゅらくだい)建設の為に
お寺の移動をした経緯もあります。
そんな十六羅漢石庭なんですけど、15個しか石がないんですよね。
(ひとつをお釈迦様と見立てている為)
じゃぁ・・その残り一つはドコにあるの~
と言いますと
その最後の一つは、そう・・・
自分自身なのです
つまり私であり、この十六羅を見ているあなた自身。
自分が最後の羅漢となって完成されるお庭なのですね~っ
※ちなみに羅漢とは尊敬されるべき修行僧で仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことをそう呼ぶそうです。
この素敵なお庭以外にも、
重要文化財である、長谷川等伯(はせがわとうはく)一派による
金箔が見事な「鉾杉図」を見たりできますよ♪
ということで今回は
妙蓮寺をご紹介しました。場所はコチラ↓