今回ご紹介するのは
京都市上京区(かみぎょうく)にある
本門法華宗(ほんもんほっけしゅう)の大本山
![妙蓮寺](2010/11/15/01/2010-11-15-1.jpg)
妙蓮寺(みょうれんじ)です。
妙蓮寺は、1294年(永仁2年)に
日蓮(にちれん)の弟子である日像(にちぞう)が
造り酒屋の柳屋中興(やなぎやなかおき)の帰依を受けて
柳屋の邸宅内にお堂を建てたことに始まります
初めは「卯木山妙法蓮華寺」という名前でしたが
柳屋の屋号から「柳寺(やなぎでら)」ともいいました
![妙蓮寺の石碑](2010/11/15/01/2010-11-15-3.jpg)
そのときの山号である卯木山は
柳の「木」と「卯」の文字を
分けたものだったといわれています。
その後、1536年(天文5年)の
天文法華の乱(てんもんほっけのらん)で
お寺が焼き払われ、堺に立ち退くことに
天文法華の乱は、延暦寺(えんりゃくじ)と日蓮宗の
宗教的な対立がもとでおこった戦いです。
詳しくは常寂光寺の記事をご覧下さい。
その後、京都の各地を転々として
1587年(天正15年)に現在地に移ってきました
![妙蓮寺のこま札](2010/11/15/01/2010-11-15-2.jpg)
1788年(天明8年)に起こった
天明の大火(てんめいのたいか)では
お寺のほとんどが焼失してしまいましたが
翌年に復興して現在に至ります
ちなみに天明の大火で燃えたのは
妙蓮寺だけではなくて、3万7000の民家
37の神社、201の寺院が焼失したそうです。
・・・かなりの大規模ですよね
それでは中に入っていきましょう
山門をくぐって出迎えてくれるのが
こちらの鐘楼(しょうろう)です。
![妙蓮寺の鐘楼](2010/11/15/01/2010-11-15-4.jpg)
なかなか変わった形をしていますよね~♪
この鐘楼は、袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)といって
下層が末広がりになっているんですよ。縁起がいい
ちなみに袴腰鐘楼は、京都では他に
さて、そのまま先に進んでいくと本堂があります。
![妙蓮寺の本堂](2010/11/15/01/2010-11-15-5.jpg)
本堂には、ご本尊である
十界曼荼羅(じっかいまんだら)が安置されています
![妙蓮寺の日蓮の銅像](2010/11/15/01/2010-11-15-6.jpg)
日蓮宗の開祖、日蓮の銅像が建っていました。
![妙蓮寺の妙蓮寺椿](2010/11/15/01/2010-11-15-7.jpg)
こちらは妙蓮寺椿です。
連歌師の宗祇(そうぎ)が椿とお寺の繁栄を
次の歌で讃えました。
「余の花はみな末寺なり妙蓮寺」
世の中の花は全て妙蓮寺椿の末寺のようだ
という意味になります
![赤穂浪士の遺髪墓](2010/11/15/01/2010-11-15-8.jpg)
こちらは赤穂浪士(あこうろうし)の遺髪を納めた
遺髪墓(いはつぼ)になります。
赤穂浪士47士の1人、片岡源五右衛門(高房)の姉が建立しました。
さて、最後にこちらをご紹介
![妙蓮寺の寺務所](2010/11/15/01/2010-11-15-9.jpg)
寺務所を通り、中に入ると・・・
![妙蓮寺の十六羅漢石庭](2010/11/15/01/2010-11-15-10.jpg)
十六羅漢石庭(じゅうろくらかんせきてい)
写真で見ると、中央左上にある一番大きい石が
臥牛石(がぎゅうせき)です
牛が臥せた形をしている事からその名前がついたそうなんです。
じつは、この石・・誰がプレゼントしたかと言うと
豊臣秀吉(とよとみひでよし)です
当時、妙蓮寺は秀吉と親しかったようですね。
秀吉の聚楽第(じゅらくだい)建設の為に
お寺の移動をした経緯もあります。
そんな十六羅漢石庭なんですけど、15個しか石がないんですよね。
(ひとつをお釈迦様と見立てている為)
じゃぁ・・その残り一つはドコにあるの~
と言いますと
その最後の一つは、そう・・・
自分自身なのです
つまり私であり、この十六羅を見ているあなた自身。
自分が最後の羅漢となって完成されるお庭なのですね~っ
※ちなみに羅漢とは尊敬されるべき修行僧で仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことをそう呼ぶそうです。
この素敵なお庭以外にも、
![妙蓮寺の堂内](2010/11/15/01/2010-11-15-11.jpg)
重要文化財である、長谷川等伯(はせがわとうはく)一派による
金箔が見事な「鉾杉図」を見たりできますよ♪
ということで今回は
妙蓮寺をご紹介しました。場所はコチラ↓