今回ご紹介するのは

京都市東山区にある

建仁寺(けんにんじ)の塔頭寺院である


西来院(せいらいいん)

西来院(せいらいいん)です!


西来院は通常非公開のお寺なんですけれど

6月21日と22日に同志社大学書道部の

『青嵐展』の開催に伴って

中に入る事が出来たんですね~


青嵐展の看板

学生さんによる素晴らしい書道の数々を

見る事が出来ましたよ


中には学生さんとは思えないくらい

プロのような書もあってビックリしちゃいました


後から調べてみると

2005年(平成17年)頃から開催されていたようですので

毎年、青嵐展が行われているのかもしれません♪


興味のある方は調べてみて下さいね


西来院と書かれています

さて、西来院は鎌倉時代
日本に禅宗を広める為に南宋から訪れた
蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)という
お坊さんを開祖とする臨済宗のお寺です


蘭溪道隆は泉涌寺(せんにゅうじ)の

来迎院(らいごういん)や

鎌倉にある寿福寺(じゅふくじ)等に

寓居(ぐうきょ・仮住まい)し

鎌倉幕府第5代執権(しっけん)

北条時頼(ほうじょうときより)の帰依を受けて

臨済宗の寺院を格付けをする鎌倉五山の

第1位となった建長寺(けんちょうじ)の

開山となった人物でもあります。


※執権とは、将軍を補佐する役職の事です。


元寇(げんこう・蒙古襲来)の際には
元のスパイとの嫌疑をかけられて
伊豆国に逃れる事もありましたけれど
その後、1259年に後嵯峨天皇
(ごさがてんのう:第88代天皇)の詔によって
建仁寺に住したそうで、その時
住持したお寺が
ここ西来院なんですね~


※元寇について詳しくは、霊光殿天満宮の記事をご覧下さい。


西来院は蘭溪道隆が住したお寺という事で

通称『蘭渓道隆のお寺』とも呼ばれているんですよ♪


ちなみに西来院という名前は

道隆4世法孫である大宗口盛が

清本院を再建して名を改めた事によるようです


その後、1467年(応仁元年)の応仁の乱(おうにんのらん)や

1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんもんほっけのらん)の

兵火によって類焼したそうですけれど

江戸時代の慶長年間(1596~1615年)以降に

再建されたそうです


※応仁の乱について詳しくは、銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧ください。

※天文法華の乱について詳しくは、常寂光寺の記事をご覧ください。


それでは、中に入っていきましょう


山門

山門


こちらの山門をくぐると

まず左手に見えるのが庫裏です


庫裏

庫裏


庫裏とは、お坊さん達が

食事の支度等をするのに用いられる場所の事ですよ


その庫裏の前には苔が生えた


庫裏前庭園

美しい庭園がありました


そして、山門からまっすぐ歩いた正面には

『漸入佳境(ぜんにゅうかきょう)』と書かれた

額がかけられた門があるんですね。


漸入佳境の額のかけられた門

漸入佳境とは、話や状況が
徐々に面白い部分に入っていくという意味で
漸入佳境の漸入は
徐々にその段階に入る事を意味し
漸入佳境の佳境は
最も面白い部分を意味しています


漸入佳境と書かれた額

漸入佳境と書かれた額


その事から、だんだん面白い部分と

いうような意味になるんですね


ここから面白い部分とは

お寺の最も重要な場所の事ですよね??


門をくぐると・・・


方丈

方丈がありましたよ~


方丈の中には、ご本尊である

地蔵菩薩が安置されているそうです


そして、その方丈の前には枯山水式庭園である

方丈庭園が広がっているんですね♪


方丈前庭園

西来院は、緑の紅葉も美しいんですけれど

紅葉の美しいお寺としても知られています


秋には特別公開が行われる事もあるみたいですので

ご興味のある方は是非

西来院を訪れてみてはいかがでしょうか♪


今回訪れた建仁寺の塔頭寺院である

西来院の場所はコチラ↓

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