今回ご紹介するのは
東山区にある
芬陀院(ふんだいん)です!
芬陀院は臨済宗のお寺で
東福寺(とうふくじ)の塔頭なんですよ
※今ごろの東福寺は通天橋から見える新緑がとてもキレイなんですよ~。詳しくは、東福寺 その1の記事をご覧ください。
創建は鎌倉時代後期
元亨年間(げんこうねんかん)(1321~24年)と言われ
歌人であり時の関白であった一条内経(いちじょううちつね)が
定山祖禅(じょうざんそげん)を開山に迎えて創建したそうで
一条家の菩提寺でもあります。
ちなみに芬陀院の名前は
内経の戒名である
『芬陀利華院殿(ふんだりけいんでん)』に由来していて
正式名称も芬陀利華院(ふんだりけいん)と言うんですよ
そんな芬陀院は、別名
『雪舟寺(せっしゅうでら)』と
呼ばれています♪
ここでピンと来た方もおられると思うんですけれど
芬陀院は、室町時代に活躍した有名な水墨画家
雪舟(せっしゅう)ゆかりのお寺なんですね~
雪舟と言えば
1956年(昭和31)年、世界平和評議大会において
モーツァルトやドストエフスキーらと並んで
日本人で唯一『世界十大文化人』に選ばれた人なんですよ
※アジア人でも唯一なんです。
つまり雪舟は世界に認められた文化人なんですね!
雪舟については後ほど、ご紹介するとして
早速、芬陀院をレポートしていきましょう。
まず山門をくぐり参道を抜けると
正面には
唐門には『宝暦5年 桃園天皇の中宮(皇后) 恭礼門院(きょうらいもんいん・一条富子)の御所より移築』と書かれた札がありました。
唐門が見えましたよ。
左手に庫裏(くり)があり
こちらから中の方に入っていきます。
※庫裏というのは、僧侶の居住であり食事を用意したりする為の場所の事です。
そしてこちらが本堂です
本堂にはご本尊である
阿弥陀如来が安置されています。
そして、本堂前には
鶴亀の庭(南庭)、1939年(昭和14年)に重森三玲が復元修復。
雪舟の作庭と伝えられる
京都最古の蓬莱式(ほうらいしき)枯山水庭園
『鶴亀の庭(つるかめのにわ)』がありました♪
苔の中に鶴と亀が浮かんでいるように見えますよね。
ちなみに芬陀院ではお抹茶も頂けるんですよ。
鶴亀の庭を眺めながらお抹茶を頂けるなんて
とっても贅沢な気分ですよね~
さて、ここで雪舟について
もう少しご紹介していきますね。
雪舟は備中(現在の岡山県)で生まれ
幼少期に宝福寺に入ったと言われています。
彼は絵を描くのが大変好きだったみたいで
お寺の修行をせずに
絵ばかり描いていたそうです
そこで住職は戒めのために
柱に雪舟を縛り付けました。
しかし雪舟は、柱に縛り付けながらも
泣きながら涙でネズミを描いたそうです。
どれほど絵が好きだったのか
わかるエピソードですよね
そのネズミを見た住職は
描かれたネズミがあまりにも活き活きとしすぎて まるで生きているように感じたそうですよ~
画力も凄かったんですね!
そして、その絵の見事さに感心した住職は
絵を描くのを許したと言われています
その後、京都に来て相国寺などで
修行します。
そして雪舟が40代の頃になると
当時の関白だった一条兼良(かねよし)が
ネズミの話を思い出して
雪舟に亀を描くように所望したそうです
しかし肝心の雪舟は
いっこうに亀を描こうとせず
ある時、庭で石を動かし始めます。
すると、その石が次第に亀の形になっていき
立派な石組みの亀になったんですね~
石組みの亀
それが鶴亀の庭の誕生秘話と言われているんですよ
石組みの亀が出来たその日の夜
庭先で異様な音がするので和尚が
庭を見てみると
石組みの亀が手足を動かして這っていたそうです
和尚は気味悪がって雪舟に何とかするように頼むと
笑いながら亀の甲に大きな石を載せたそうです。
すると亀は動かなくなったと言われています。
その後、雪舟は48歳の時に明へ渡り
そこで画の修行をします。
その場所は
臨済宗を開いた栄西(えいさい)や
曹洞宗を開いた道元(どうげん)も修行をしていた
天童山景徳禅寺(てんどうざんけいとくぜんじ・通称 天童寺)でした
※栄西については開山堂(建仁寺)を、道元については道元禅師示寂の地の記事をご覧ください。
そんな凄い2人も修行をした
天童寺なんですけれど
実は彼らですら貰えなかった
最高位の称号
『天童山第一座』を
雪舟は贈られるんですよ!!!
そんな雪舟なんですけれど
明に渡る前の日本では
あまり高い地位についていなかったんです。
ですから中国でこのような評価を得るなんて
まさに飛び上がるような思いであったのではないかと思います
その喜びを表すかのように
彼の描いた作品には
『天童山第一座』という称号が
書かれています。
名前の印をするのが
一般的だと思うんですけれど
遅くして認められた彼にとっては
それほどまでに嬉しかったという事ですよね~
雪舟はその後、日本に戻ると
国宝『天橋立図』を完成させます
この天橋立図は
80歳を超えながらも
天橋立に通い描いたと言われているんですよ
本当に凄い人ですよね~
この他にも
・秋冬山水図
・破墨山水図
・山水長巻
(さんすいちょうかん・全長16メートルもある最も有名な作品です。)
・山水図
という合計で5つの国宝を描いています。
そんな凄い雪舟なんですけれど
まだもう1つありまして・・・
実は外国切手になった
初めての日本人なんです♪
『世界十大文化人』に選ばれた事を記念して
旧ソ連とルーマニアで切手になったんですね~
こちらは図南亭(となんてい)と東庭です。
東庭は昭和の作庭家、重森三玲(しげもりみれい)によるものです。
図南亭、額は石川丈山(いしかわじょうざん)によるものだそうです。
図南亭は、茶関白と呼ばれた
一条恵観(いちじょうえかん)が東福寺参拝のおりに
茶席図南亭でお茶を楽しんだと伝わり
1969年(昭和44年)に復元されたものです。
こちらは図南亭の中から丸窓を撮った写真です。
庭には、恵観愛用の勾玉の手水鉢と
崩家形燈籠が配置されていました。
そんな世界的に有名な
雪舟寺の別名を持つ芬陀院の場所はコチラ↓
大きな地図で見る