今回ご紹介するのは
京都市中京区の三条通室町西入ルにある
鷹山(たかやま)です!
鷹山は1467年(応仁元年)以前からあったようで
1788年(天明8年)に起きた天明の大火の後は
一時的に舁山(かきやま)に改めたそうですけれど
1798年(寛政10年)再び曳山に戻ったそうですよ
※ちなみに舁山とは舁初(かきぞめ・人が担いで移動させる山)を行う山の事です。
別名、『太郎山』『樽負山』『鷹つかひ山』等
色々な呼ばれ方をしていたそうです。
そんな鷹山は現在
巡行には参加していない
休み山の1つなんですね~
※もう1つの休み山『布袋山』について詳しくは、祇園祭 布袋山(八坂神社)の記事をご覧ください。
実は1826年(文政9年)に発生した大きな夕立で
懸装品が大破してしまい
翌年から巡行に参加しなくなったんだそうです。
懸装品を大破させるほどの夕立って
一体・・・
さらに1864年(元治元年)には禁門の変で
御神体の一部(首や手等13点)を残して
全て焼失してしまったんだそうです
そんな鷹山は
江戸時代後期まで巡行していた際には
7月20日に行われた大船鉾の曳き初めの様子です。
後祭(あとまつり)の大船鉾(おおふねほこ)の前を行く くじ取らずの大変大きな山だったそうですよ~。
そして今年2014年3月は
190年ぶりに囃子方を復活させて
鷹山復活の気運がかなり高まってきているんです
最期の巡行を行ってから
2026年でちょうど200年となるようで
その年までには山を復興させるといった
大きな目標を掲げられているそうです。
ちなみに鷹山は
今日(7月22日)と明日(23日)の
午後17時からの居祭(いまつり)で
見る事が出来ますよ~
こちらの三体の人形は
鷹山の御神体なんですけれど
それぞれが表情豊かでしばらく見入っちゃいました
御神体について左からご説明しますと
こちらは、鷹狩りの行装の『鷹匠(たかじょう)』です。
一説には源頼朝(みなもとのよりとも)とも
言われているそうなんですけれど
在原行平(ありわらのゆきひら)の説が有力みたいですよ。
ちなみに行平は、在原業平(ありわらのなりひら)のお兄さんです。
※在原業平と言えば平安京のプレイボーイとして有名ですよね。彼について詳しくは、十輪寺の記事をご覧ください。
886年、光孝天皇(こうこうてんのう・第58代天皇)の
芹川野(せりかわの)への行幸の際
行平がお供した時の鷹匠の姿を模したものと言われています
続いて真ん中は
樽(たる)を背負い粽(ちまき)を持った従者
『樽負(たるおい)』です。
こちらは粽を食べているんですけれど
樽負は、からくり人形だという事が
2008年(平成20年)の調査でわかったそうですよ
巡行の際には、粽を口元に運びながら
移動していたようです。
ユニークな発想ですよね~
最後の右が、犬を引く従者『犬飼(いぬかい)』です。
こちらは鷹の『見送り』です。
※見送りとは、山鉾の後ろにつけるタペストリーの事です。
昭和時代の染色家で京都出身の
皆川月華(みながわげっか)が寄贈したんだそうですよ。
それぞれの人形の前には
粽が奉納されていました
ちなみに鷹山は一般の人には
粽の販売は行っていないそうです。
いよいよ明日は
後祭の宵山で
明後日は150年振りに
大船鉾が巡行します
お天気にも恵まれそうなので
お時間のある方は見に来られてみてはいかがでしょうか?
そんな鷹山の場所はコチラ↓
より大きな地図で 鷹山 を表示