今回ご紹介するのは
蛸薬師通(たこやくしどおり)室町西入る
姥柳町(うばやなぎちょう)の
布袋山(ほていやま)です!
布袋山と聞いて思い浮かぶのは
七福神の布袋尊ですよね
布袋尊は他の6神とは違って
唯一実在した中国の僧
契此(かいし)がルーツと言われているんですよ♪
※常に袋を背負っていた事から布袋和尚と呼ばれていたそうです。
ちなみに布袋山は現在休み山と言って
祇園祭の巡行には参加していないんですね~
でも、お休み中という事は
かつては巡行に参加していたというわけで
資料にも残されているんですよ
『八坂神社記録』には
1500年(明応9年)に『19番布袋山』とあって
前祭(さきまつり)の山で
巡行していた事がわかっています。
前祭の中では一番北の山になるんですね
※前祭については、祇園祭の後祭(あとまつり)Q&Aの記事をご覧ください。
また、『祇園祭礼巡行図巻』には
被り物で巡行に参加する様子が描かれているそうですよ。
それにしても、どうして現在は
参加してないのと疑問に思いますよね。
その理由は・・・
1788年に起こった天明の大火によって
御神体である布袋像と2体の童子像以外が
焼失してしまった為なんです
※ちなみに焼けてしまった山を焼山(やけやま)と言い、応仁の乱で焼ける前は50基以上あったと言われています。
今では山がどのようなものだったか
現存する資料が無く
詳しい形態はわからないそうです。
その為、復活したくても出来ないので
休み山になってしまったというわけなんです
でも!
実は復活に向けた動きがあるんですよ~
かつて布袋山の側面を飾った
見送り(タペストリー・2.6メートル)が見つかったそうなんです。
損傷が酷くてそのままでは使えなかったみたいなんですけれど
デジタル技術で復元されたそうです。
また、滋賀の大津祭や宮城の布袋祭でも
被り物で巡行をしている事から
それらを参考にして復活させようとしているみたいです。
ちなみに2004年以降は
マンションの一角にご神体を展示し
14日から16日まで飾りつけをして
居祭を行っています
居祭の際には
粽や護符も販売されています。
写真は布袋山の粽です
『蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)』と
書かれた護符の他に
『子孫繁栄や壽福増長(寿福増長)』と書かれた
護符もついていましたよ
※蘇民将来について詳しくは、祇園祭 2011 疫神社夏越祭(八坂神社)の記事をご覧ください。
2012年には山の土台となる
2012年に公開されていた、やぐらです。
やぐらが公開されました
今年は大船鉾が巡行に復活し
布袋山と同じく休み山の
鷹山(たかやま)のお囃子も復活したので
もしかすると近い将来
そんな布袋山の場所はコチラ↓
より大きな地図で 布袋山 を表示