今回ご紹介するのは

ねねの道にある

月真院

月真院(げっしんいん)です。


このお寺は通常非公開のお寺なんですけれど

たまたま門が開いていたので

中の様子を見ることが出来ましたよ~


開いていた理由はわかりませんけれど

普段は門の前につい立があって

入れないようになっているんですよね。


新選組ファンなら誰でも知っている場所が

なぜか開いていたら・・・

入ってしまいますよね~

※新選組の字は新撰組と書かれているものもあり、文書でも、どちらも使用例があります。当サイトでは以下、新選組で統一しますね。


それでは早速ご紹介していきましょう。


こちらの月真院は

高台寺(こうだいじ)の塔頭で

臨済宗建仁寺(けんにんじ)派に属しています。

高台寺について詳しくは、高台寺 その1の記事をご覧下さい。


高台寺の初代住職

三江紹益(さんこうじょうえき)を開祖として

1616年に建立されたと言われているんですよ

※本尊には千体地蔵菩薩が安置されています。


こま札

門前は『ねねの道』と言われる

石畳の道なんですけれど

『ねね』とは『おね』とも呼ばれる

ある人物の妻の事です。


もうピーンと来ている人も

いらっしゃるかも知れませんけれど

天下人!豊臣秀吉の奥様の事ですよね


この場所で余生を送った

北政所(きたのまんどころ)である

『ねね』にちなんで名付けられた道です。

※北政所とは、摂政・関白の正室の称号の事です。


そして、月真院は

冒頭でもご紹介した通り

新選組ファンなら誰でも知っている場所なんですよ


御陵衛士屯所跡と谷暘卿先生のお墓

『谷暘卿(たにようけい)』先生のお墓もありました。医師でありながら鉄道の重要性を説き、新橋-横浜間の鉄道建設を政府に働きかけた人なんですよ。


それは、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)をはじめとする

かつて新選組だった人達が

『御陵衛士(ごりょうえじ)』という組織を名乗り 屯所とした場所だからなんです

高台寺の塔頭である月真院に屯所を構えた事から高台寺党と呼ばれたりもします。ちなみに屯所とは、巡査や兵隊の駐在所の事を指します。


え!?

かつてって、もしかして新選組って抜けられるの?

切腹させられるんじゃないの~

って思いますよね。


そうなんです!普通は

新選組を抜ける事は出来ません。


一応、新選組について言っておきますと

人斬り集団というイメージがあるかも知れませんけれど

彼らの任務は京都の治安維持で

今でいう警察みたいなものなんですよ。

※新選組について詳しくは、新選組ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


新選組を抜けると生きていけないというのは

彼らのルールに背く事になるんですよね

「第一士道をそむくこと

第二局を脱すること

第三かってに金策をいたすこと

第四かってに訴訟をとりあつかうこと

この四箇条をそむくときは切腹をもうしつくること、またこの宣告は同志の面前で申しわたすというのであった。」


これは新選組の2番隊組長である

永倉新八(ながくらしんぱち)が

回顧録である『新選組顛末記(しんせんぐみてんまつき)』の中で

上記のような禁令があったと言っているんです。


ではなぜ、御陵衛士は隊の掟を破って

新選組を抜けることができたのでしょうか・・・


庫裏

こちらは庫裏(くり)です。以前は宿坊をしていたようですが、今はやっていないみたいです。


諸説ありますけれど

伊東は隊を抜けるため

いろいろなところに

根回しをしていたと言われています。


そして彼の日記によれば

なかなか近藤勇(こんどういさみ・局長)と

土方歳三(ひじかたとしぞう・副長)を説得させる事は出来なかったが

「ついに術中に陥り、屈服した」と書かれているんですね


どういった経由で術中に陥ったのか

詳しい事はわかりませんけれど

隊を抜ける事には成功したんですね。


近藤勇や土方歳三を

納得させることに成功すると

伊東らは御陵衛士を

1867年6月に結成します。


名前は

孝明天皇(こうめいてんのう・第121代天皇)の御陵を守護する役目から

このようなネーミングになったようです


しかし、ようやく新選組を抜ける事ができたのもつかの間

5ヵ月後の11月

油小路(あぶらのこうじ)で伊東は暗殺されてしまいます。

その後、御陵衛士は壊滅状態になったそうですよ


やっぱり、新選組を抜けて

無事で済むはずもなかったんですね・・・

※暗殺事件について詳しくは、伊東甲子太郎外数名殉難之跡の記事をご覧下さい。


ちなみに伊東の動向については謎の部分が多く

いろいろな説があります。

新撰組から狙われていただけでなく

薩摩など倒幕派からも怪しまれていたそうです。


興味のある方は

いろいろな資料を読んでみると面白いかもしれませんね


布袋さん

布袋さん

こちらは門前にあった

「東山路傍の触れ仏(ひがしやまろぼうのふれぼとけ)」

書かれた、七福神の布袋(ほてい)さんです。

優しく撫でれば、ご利益を受けられるようですよ


お稲荷さん

お稲荷さん

神仏習合の名残でしょうか、お稲荷さんもありました。


そしてこちらが絵馬です。

絵馬

絵馬にも狐が描かれていましたよ

デザインがかわいいですよね~


こちらの月真院はかつて、椿が見れるお寺として

大変有名だったそうです


そんな普段は非公開の

御陵衛士屯所が置かれていた月真院の場所はコチラ↓


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