『京のユニークな地名』では
京都に残る、一味違ったユニークな地名や町名
そして通りの名前をご紹介していますが
今回は、新たに4つの通りの名前をご紹介したいと思います
では、早速いってみましょう~!
・花見小路(はなみこうじ)
もしかして『お花見』の出来る道なの!?
と思う人もいるかも知れませんね。
花見小路は元々、建仁寺(けんにんじ)の
領地だったと言われています
明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって
領地が狭められますが
明治7年、祇園甲部お茶屋組合が7万坪を買い上げ
花街として整備したそうです。
※廃仏毀釈について、詳しくは泉涌寺 その1の記事をご覧下さい。
通り名の由来は
この辺りに桜が咲いていたと言う説や
槇村正直(まきむらまさなお・京都府2代目知事)が名付け親という説があるよ
うですよ。
この他にも、花街が近くにあったからという理由もあるかも知れませんね
ちなみに花見小路の場所は
祇園(京都市の東)のほぼ中心を南北に走り
四条通り(京都を東西に走るメインストリート)と交差する
南東角には有名な『一力亭(一力茶屋)』があるんですよ。
・柳馬場通(やなぎのばんばどおり)
『柳』『馬』『場』という感じから
それぞれに関係がありそうな通り名ですよね。
市内中心部(京都御苑のほぼ中央南側)を南北に走るこの通りは
かつて平安京にあった
『万里小路(までのこうじ)』にあたると言われています
柳は1589年に
京都最大の遊郭
『二条柳町』が作られた事に由来するそうです。
じゃぁ、馬場は?と言いますと
1604年、豊臣秀吉の7回忌を祝う
『豊国祭臨時祭礼』が開催された時
この辺りで『馬揃え』が行われた事から
『柳馬場』の名が付いたと言われています。
※馬揃えとは、馬の優劣を競うイベントで大名達が自分達の力を誇示する為のパレードなんだそうです。
・東洞院通(ひがしのとういんどおり)
なんとなく東の洞院通なのかな~?
と想像出来ますよね
かつて平安京にあった
『東洞院大路』にあたる南北の通りと言われています。
現在は烏丸通(からすまどおり・京都駅正面から北に伸びる大通り)の
東側を走っています。
※烏丸について詳しくは、京のユニークな地名 その3の記事をご覧下さい。
洞院とは天皇が退位した後の住居なんですよ。
そんな洞院がこの道路沿いに多くあった事から
その名が付いたと言われています。
※洞院川という川があった為とも言われています。
一番有名なのは
現在の京都御所の原形と言われる
『土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんど)』ですよね。
ちなみに江戸時代に東洞院通は
竹田街道(たけだかいどう・京の七口の1つ)と繋がっていた事から
混雑が激しくなり『一方通行』の規制が行われたみたいです
※日本で初めての一方通行とも言われているんですよ。
・日暮通(ひぐらしどおり)
なんだかちょっぴり切ない名前が付いているこの通りは
豊臣秀吉が造営した
政庁兼、邸宅であった聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)の正門に
由来すると言われています。
※現在は二条城の北側を南北に走っています。二条城について詳しくは、二条城 その1の記事をご覧下さい。
絢爛豪華な装飾が施されたその門は
日が暮れるまで眺めてしまう事から
『日暮門』と名付けられたと言われています
そんな日暮門付近を通っていた事から
この通りは『日暮通』と呼ばれるようになったみたいです。
ちなみに日暮門は現在
西本願寺境内にあるんですよ
という事で今回は京のユニークな地名をご紹介させていただきました!
場所はコチラ↓
より大きな地図で 京のユニークな地名 その19 を表示