本日は京都検定過去問の中から
4問出題してみたいと思います。
写真と解説を載せているので
チャレンジしてみて下さい
では早速1問目です。
【問題】
呉服商雁金屋(かりがねや)の三男( )は、鳴滝(なるたき)に窯を開き、斬新なデザインで京焼に大きな影響を与えた。
ア.野々村仁清(ののむらにんせい)
イ.尾形光琳(おがたこうりん)
ウ.奥田頴川(おくだえいせん)
エ.尾形乾山(おがたけんざん)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
エ.尾形乾山
尾形乾山は
江戸時代中期に活躍した
陶芸家です。
仁和寺の近くに窯を開いていた
『野々村仁清』の元で陶芸を学んだと言われています。
ちなみに『乾山』とは
鳴滝に開いた窯場の名称なんだそうですよ。
※乾(いぬい)の方角(京都市の北西)に位置している事に由来しているみたいです。
兄は琳派(りんぱ)の
代表的画家として有名な
『尾形光琳(おがたこうりん)』なんです
※彼が『紅白梅図屏風』を手がけた時に参考にした梅だと言われています。詳しくは、梅の名所巡りの記事をご覧下さい。
引き続き2門目です!
【問題】
江戸初期、三人のこどもを分家させ、茶道三千家を確立したのは誰か。
ア.千利休(せんのりきゅう)
イ.千宗旦(せんのそうたん)
ウ.千道安(せんのどうあん)
エ.千少庵(せんのしょうあん)
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.千宗旦
千宗旦は侘茶(わび)茶を大成させた
『千利休』の孫です。
利休の養子であった
少庵から家督を継ぎ千家の三代目となりました
そんな彼の息子達が三千家
『表千家(おもてせんけ・三男)』
『裏千家(うらせんけ・四男)』
『武者小路千家(むしゃのこうじせんけ・次男)』
を確立したんですよ。
ちなみに相国寺にある
『宗旦稲荷社』には
千宗旦に化けた狐の伝説が
残されています。
※詳しくは、相国寺の記事をご覧下さい。
では3門目にいってみましょう。
【問題】
新京極は、三条通と四条通の間約500mの繁華街であるが、いつ頃作られたものか。
ア.明治初期
イ.明治末期
ウ.大正初期
エ.昭和初期
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.明治初期
新京極は地元の人や
観光客も数多く訪れる通りの1つです。
京都のメインストリートである
四条通と、東海道ゆかりの三条通の間
約500mがアーケードになっているんですよ
新京極は明治維新後、京都に活気を取り戻そうと
1872年、京都府第2代目知事である
『槇村正直(まきむらまさなお)』により
作られました。
※新京極とは横を走る寺町通がかつて『京極通り』と呼ばれていた事によるものだそうですよ。
通り沿いには、お寺や神社がいくつかあり
子宝・安産祈願で有名な『染殿院(そめどのいん)』や
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので、選択肢ではありません。
ズバリでお答え下さい。
【問題】
黄檗僧(おうばくそう)高遊外(こうゆうがい・売茶翁)は、京都で煎茶の普及に努め、享保19年(1734)、東山に茶亭「( )」を設けた。
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
通仙亭(つうせんてい)
高遊外は江戸時代初期に活躍した
僧であり茶人です。
宇治にある『萬福寺』で修行し
故郷のお寺で住職を務めたと言われています
その後、1731年に通仙亭を開き
以後、20年にわたってお茶を売っていたそうですよ。
晩年には自らが所持していた茶道具を焼き
三十三間堂の近くの幻々庵で
亡くなられたそうです。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?