今回は、幕末にゆかりの石碑を1つ紹介したいと思います
それは・・・
![お龍独身時代寓居跡](2010/09/10/01/2010-09-10-5.jpg)
お龍独身時代寓居跡(おりょうどくしんじだいぐうきょあと)です
この『お龍』とは誰の事かと申しますと・・・
そうです
あの坂本龍馬の奥さんである
『楢崎龍(ならさきりょう)』の事ですっ。
この石碑は、京都の木屋町通りに建つ石碑で
かつてこの付近に龍馬と知り合う前の『お龍』が住んでいた事から
建てられたものなんですね
※2009年3月に『京都龍馬会』の方々によって建てられたそうです
ちなみに、この場所は池田屋(池田屋騒動之址)や
土佐藩邸跡なども近く、この付近には幕末の史跡が数多く残っているんですね。
寺田屋で働いているお龍は
知ってるけど、それまで何をしていたのか
ご存知の方は少ないのではないでしょうか?
では、彼女の生い立ちについて
簡単にご紹介したいと思います!!
彼女は、医師・楢崎将作(しょうさく)の長女として
1906年に京都にて生まれます
ちなみに、お父さんは
青蓮院(しょうれんいん)で住職をしていた
久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう)の主治医だったそうで
当時、幕府を激しく批判し
尊王の維新志士らと積極的に交流していた事から
安政の大獄で捕らえられていた事もあるみたいですよっ。
※『青蓮院』については、青蓮院 その1、青蓮院 しび2の記事を、安政の大獄については圓光寺の記事をご覧下さい。
![案内板](2010/09/10/01/2010-09-10-6.jpg)
そんな父親が、この世を去ったのは・・
お龍が21歳の頃。
この時を境に、一家は苦しい生活を強いられる事となるんですね。
それまで住んでいた家を引き払い
木屋町付近の家を借り、一家で住んでいたと言われています。
衣類や家具を売り裁きながらもなんとか生活を続けていましたが
母親が悪い男に騙され
妹が女郎として売り飛ばされそうになった事もあるみたいですよ(汗)
この時、お龍は懐に刃物を忍ばせ
死ぬ覚悟で、妹の身柄がある大阪まで単身乗り込み
男2人を相手に
「殺せ、殺せ、殺されにはるばるやって来たのだから!」
と妹を取り返す為に、ものすごい気迫で、刃物を片手に
男達に詰め寄ったというエピソードが残されています。
皆さんに中にある、お龍のイメージも
こうしたちょっと気の強い女性って感じですよね?
ちなみに、この頃に木屋町付近に住んでいたという事から
現在の『お龍独身時代寓居跡』が建てられる事となったんですね。
その後、母親と妹は三十三間堂近くにある
河原屋五兵衛の隠居所に住込みで働く事となりました
ここは、土佐を脱藩した龍馬や中岡慎太郎らの
一時的な宿舎になっていたようです。
お龍はここで働いていたワケではなかったのですが
母親や妹の様子を覗きに来た時に
龍馬と出会ったんですね~
ちなみに、その後は皆さんご存知のように
お龍は木屋町を離れ、伏見にある『寺田屋』にて
住込みで働くようになり、その後
龍馬と結婚したと言われています
という事で今回は
お龍こと『楢崎龍』が
龍馬と結ばれる以前に住んでいたとされる木屋町に建つ
『お龍独身時代寓居跡』をご紹介させていただきました
場所はこちら↓