今回ご紹介するのは・・・
京のユニークな地名です
京都に残る、一味違ったユニークな地名や町名を
ご紹介したいと思います
では、早速いってみましょう~!
・百万遍(ひゃくまんべん)
ひゃくまんべん!さて、一体何を・・・百万回もしたのでしょう?
これは『念仏を百万回唱えた』という故事が由来となっています。
場所は?と言うと、京都大学からも程近い
京都市左京区にある交差点(百万遍交差点)一帯になりますっ。
ちなみに、この百万遍というのは
正式な地名ではありませんが、地元の人達は
交差点の名が百万遍交差点である事から
周辺地域を『百万遍』と呼んでいるんですね~
※百万遍交差点は、南北に走る『東大路通り(ひがしおおじどおり)』と、東西に走る『今出川通り(いまでがわどおり)』の交差する場所にあたります。
念仏を百万回唱えた事に由来する、百万遍ですが
では一体誰が?と言うと・・
百万遍交差点すぐ側に建つ『知恩寺(ちおんじ)』の住職であった
善阿(ぜんな)というお坊さんなんですっ。
鎌倉時代後期の1331年、都で疫病が大流行した際に
彼は勅命を受け、御所に篭り
7日がかりで念仏を百万回唱えたところ
・・・ピタリと疫病が治まったんですね!
こちらが、その知恩寺です。お寺について詳しくは知恩寺の記事をご覧下さい。
こうした事から知恩寺を、別名『百万遍』と呼び
その前にある交差点を『百万遍交差点』と言うようになったそうですよ。
・桑原町(くわばらちょう)
一見すると、ん?普通の町名じゃん(汗)って思いますが
実は、この桑原町はある言葉の語源になった町名なんです。
それは・・
「おー・・怖い、怖い・・くわばら、くわばら。」
の『くわばら』とは、この桑原町の事だったのです!
平安時代中期、都を突然襲った落雷から守ってもらう為の
おまじないだったようで、この桑原町だけは
不思議と雷も落ちず、被害が無かったそうなんですね
※ちなみに桑原町は京都御所前の『丸太町通り(まるたまちどおり)』の上に存在する町で20×30メートルと大変狭いエリアなんですね。もちろん道路上なので人は住んでいません。
こうした事から、雷が落ちない桑原で
『くわばら、くわばら。』と手を合わせる習慣が出来たそうです。
でも、どうして桑原に雷が落ちなかったのか?と言うと
そもそもこの雷は不遇の死を遂げた
菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りによるものだと
考えられていました。
そして、桑原に雷が落ちなかったのは
この場所は彼の領地だったからだと言われているんですね
学問の神様で知られる菅原道真ですが、北野天満宮もそんな道真の祟りを鎮める為に建てられた神社なんですよ。
ちなみに、菅原道真は
時の左大臣だった
藤原時平(ふじわらのときひら)と対立した事によって
デマを流された挙句、大宰府(九州)へと左遷され
都へ帰れないまま不遇の死を遂げました
※一連の出来事を『昌泰の変(しょうたいのへん)』と言います。詳しくは菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。
その後、都を襲った落雷や異変が
『不遇の死を遂げた道真の祟りである!』と考えられた事から
彼の怒りを鎮める為に、全国に天満宮が建てられたんですね。
・西院(さいいん)
この西院は、ちょっぴり怖く悲しいお話が残る呼び名で
京都市中京区にある地名の1つです。
確かに、少し読み方が変わっていますよね
では、早速『西院』についてご説明したいと思います
まず、この漢字に関して先にお話しますと
833年に淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代天皇)が
この地に建てた『淳和院(離宮)』が起源となっているんですね。
淳和院は、皇居から見て西の方角に位置していた事から
西の院・・つまり『西院』という名が付いたとされています。
では、どうして『にしいん』と呼ばずに『さいいん』となったのか
・・・これは当時、この地にあったとされる
『賽の河原(さいのかわら)』から、その呼び名になったと言われています。
阪急西院駅の近くには、西院春日神社も建っています。この外、嵐電(京福電鉄)の西院駅(さいえき)などもあります。
賽の河原とは、分かりやすく言うと
三途の川のようなもので『あの世とこの世の境界線』といった場所です。
そんな『賽の河原』にやって来るのは
親より先に死んでしまった子供です
実際に、この地には『佐比川(さいがわ)』と呼ばれる川が
かつて流れていたそうで
多くの子供の死体が置き去りにされていたそうです。
こうした事から『賽の河原』と呼ばれるようになったと考えられているんですよ。
※西院や、賽の河原について詳しくは西院春日神社の記事をご覧下さい。
・弁慶石町(べんけいいしちょう)
これは、あの有名な『武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)』に由来する町名で
京都市中京区にあります。
この事が、町名の由来になったとされているんですね
この弁慶石については諸説ありますが
1454年に奥州(おうしゅう・岩手県)からやってきた石と言われ
弁慶は、その上に立って死んだとも言われているんですよ。
この死に際はよくドラマや物語の名シーンとして描かれていますよね。
多数の敵を相手に、弁慶は源義経を守る為
お堂の入口に立って敵を全て引き付け、薙刀を振るって戦ったと言われています。
死んでも義経を守るという気持ちからか
最終的に、敵の矢を多数受けますが、立ったまま死んだそうです。
これを、『弁慶の立往生』というそうですよ
その時に弁慶が立っていた石が、この京の地にあると
考えるだけで、ちょっぴり興奮しちゃいますね
京都には、義経や弁慶にまつわる名所が多数あります。こちらは2人が戦ったとされる五条大橋に建つ銅像。
2人が始めて会ったとされる五條天神宮です。義経や弁慶については、源義経ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。
清水寺には弁慶の錫杖(しゃくじょう)と鉄下駄というのもあるんですよ~。
しかしながら、実際の石は消失してしまったようで
現在は代わりの石が安置されているそうです。
という事で今回は、京のユニークな地名をご紹介させていただきました。
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