本日は京都検定の過去問を取り上げたいと思います。

3級~1級までの問題を

4つ出題していますので

チャレンジしてみて下さいね

では、早速1問目です。


【問題】

「ねねの道」南端から東に(   )を登ると、坂本龍馬を斬った刀などを展示する霊山歴史館がある。

ア.哲学の道

イ.維新の道

ウ.きぬかけの路

エ.さわらびの道

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

イ.維新の道


問題にもある『ねねの道』は

高台寺

高台寺(こうだいじ)前を通る

石畳の道です。


そして、答えとなっている『維新の道』は

東大路通り(ひがしおおじどおり・八坂神社の前を通る道)から

霊山護国神社

霊山護国神社(りょうぜんごこくじんじゃ)へと続く参道の事で

途中で、ねねの道や、二年坂(清水寺へと続く道)へと分岐するんですよ


龍馬を斬った刀は

京都見廻組(きょうとみまわりぐみ・京都の治安を維持するための組織)の

桂早之助(かつらはやのすけ・桂隼之助とも)のものとされていて

長さ42.1センチの脇差(わきざし・小刀)です。


続いては2問目になります。

【問題】

鞍馬口の上善寺(じょうぜんじ)では、8月22日の夜、民俗芸能の(   )が行われる。

ア.薪能(たきぎのう)

イ.六斎念仏(ろくさいねんぶつ)

ウ.神楽(かぐら)

エ.大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

六斎念仏

イ.六斎念仏


上善寺は863年

円仁(えんにん・平安時代初期の僧)が

天台宗の道場として創建した事を起源とするお寺です。


六斎念仏は

空也(くうや・平安時代中期の僧)によって行われた事が起源とされ

六斎日(月に6日ある、災いを呼ぶ日)に

鉦(しょう・円盤状の鐘)を使って

念仏を唱えていた事に由来します


上善寺で行われる六斎念仏は

芸能六斎と言われる

歌舞伎や狂言の出し者を取り入れた六斎とされ

小山郷六斎会(こやまごうろくさいかい・六斎保存会の1つ)の方たちにより

奉納されるんですよ

※詳しくは、盂蘭盆会供養 2012(上善寺)の記事をご覧下さい。


引き続いて3問目にいってみましょう。


【問題】

時代祭において、延暦武官(えんりゃくぶかん)行進列では(   )が大将をつとめる。

ア.坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

イ.平将門(たいらのまさかど)

ウ.源義家(みなもとのよしいえ)

エ.藤原秀郷(ふじわらのひでさと)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

時代祭・坂上田村麻呂

ア.坂上田村麻呂


坂上田村麻呂は

征夷大将軍(平安時代)として有名な人物で

清水寺

清水寺は彼が自宅を本堂として寄進し

改築した事が始まりと言われているんですよ


この他、境内には彼が作った

阿弖流爲(あてるい)と母礼(もれ)の碑があります。


阿弖流爲と母礼は

彼が蝦夷(えぞ・今の東北地方)を征伐に行った際に

戦った相手です。


見事、蝦夷を征圧し阿弖流爲を説得し

彼の命を救った坂上田村麻呂だったんですけれど

朝廷の命により阿弖流爲は死刑となっちゃうんですね


命をとらないと約束したのに・・・と

阿弖流爲を守れなかった事を悔いた

坂上田村麻呂は

せめてもの弔いにと碑を建てたと言われています。

※詳しくは、清水寺の記事をご覧下さい。


牛車

ちなみに時代祭は1895年から

平安遷都1100年を記念して始まった祭です。


明治時代から平安時代を振り返り

約2000人の行列が

京都市内を練り歩く

1大パレードなんですよ

※詳しくは、時代祭 2012(平安神宮京都御苑)の記事をご覧下さい。


では最後の問題です!

1級からの出題になりますので、選択肢ではありません。

ズバリでお答え下さい。


【問題】

京都在住の狂言一家・茂山千五郎家(しげやませんごろうけ)が家訓とする「広く庶民に愛され、飽きのこない味わい深い狂言」をある食べ物に例えて何というか。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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・・

では、答えですっ。

【答え】

お豆腐狂言


茂山千五郎家は江戸時代から続く

狂言の名家です。

※現在で十三代目なんだそうですよ!


大蔵流(おおくらりゅう・狂言の流派)を継ぎ

代々京都に住みながら

活動をされています


お豆腐狂言は

二世『千作』の頃に言われた

悪口に由来していると言われています。


当時、特別な人しか見れず

演じる舞台も能舞台だけと考えられていた時代に

地蔵盆や結婚式などへ出向いては

狂言を演じ続けていたそうです。

茂山忠三郎社中による狂言

こちらは茂山千五郎の弟分であった茂山忠三郎によって誕生した『茂山忠三郎家(しげやまちゅうざぶろうけ)』です。

京都ではおかずに困ると

お豆腐が頻繁に用いられた事になぞって

いつの頃からか狂言仲間から

「何処にでも出ていくお豆腐のような奴だ」

と言われるようになったそうです


しかし千作は味付けによって

高級にも庶民の味にもなるお豆腐のように

「広く庶民に愛され、飽きのこない味わい深い狂言」を愛し

家訓として語り伝えたと言われています。

北野天満宮の節分祭・看板

節分の日の北野天満宮では

そんな茂山千五郎社中の方々により

狂言の奉納が行われるんですよ。

※詳しくは、四方参りの記事をご覧下さい。


という事で本日も4問出題させていただきました。

皆さんはいくつ正解されましたか?

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