こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
平野神社で行なわれた・・・
桜花祭(おうかさい)です
桜の名所として大変有名な
花山天皇(かざんてんのう)が985年の4月10日に行なった
『平野臨時祭(ひらのりんじさい)』を起源とする祭で
桜で飾り付けられた
花山天皇花山車(かざんてんのうかざんしゃ)や
平安装束に身を包んだ約100人の神幸列が
氏子区域を巡行します
※花山天皇は在位、わずか2年で退位した天皇です。藤原兼家(ふじわらのかねいね)の陰謀により騙され出家させられてしまい、天皇の座を当時7歳の一条天皇に譲り渡してしまった『悲劇の天皇』と言われています。
そんな花山天皇は、平野臨時祭にて
「幾夜の春を床しく(ゆかしく・奥ゆかしく)匂えよ」と言い
平野神社に行幸したそうです。
花山天皇はかつて
境内に数千本の桜を植えたと言われています。
現在も境内には60種類、約400本の桜があり
開花時期の違う桜が所狭しと咲いている事から
京都でも長期間、桜を楽しめる神社として
毎年多くの方が訪れます
※平野神社の桜の様子は平野神社 その2、平野神社 その3の記事をご覧下さい。
では早速『桜花祭』をレポートしたいと思いますっ
10時より本殿前で神事が始まり
お祓いや祝詞の奏上に続き
本殿に祀られている祭神の御霊(みたま)を
鳳輦(ほうれん)に乗せます。
こうして神様を本殿から鳳輦に遷し、外へとお連れします。
※鳳輦は神輿に似ていますが、担がず台車に乗せて移動するもので、神輿の原型と言われています。
約30分程の神事を終えると
宮司の方や、神事に参加している氏子の方々は
花山天皇陵へと移動します。
※平野神社から北東に約300メートルほど離れた場所にあります
11時よりこちらで神事が行なわれ
桜花祭の無事を祈願します
こうして花山天皇にも、ご報告が済んだところで
12時からは平野神社境内にて
発輦祭(はつれんさい)が行なわれます
本殿前には神職の方以外にも
神幸列に参加する方々も参加して行います
祭神の御霊が乗った鳳輦に
お祓いや祝詞を奏上した後
いよいよ13時より
神幸列が平野神社を出発します!
平野神社を出る『曲水遊び列(きょくすいあそびれつ)』です。その昔、境内には水路があったそうで、そこで和歌を詠み、楽しんだそうですよ。これを曲水の宴と言います。詳しくは曲水の宴 2011(城南宮)の記事をご覧下さい。
桜花祭は毎年、4月10日に行なわれ
平野神社の桜がちょうど見ごろになる時期なのですが
今年は、開花時期が早く
もうかなりの桜が散り始めていました。
こちらは多田満仲(ただみつなか・源 満仲)です、平安時代中期の武将で、彼は平野神社に社参し、祭神を兵庫県の多太神社(たぶとじんじゃ)に勧請したと伝えられています。
それでも、参道の所々には桜が残っていて
その中を神幸列が行幸していく姿は、とっても華やかですね。
境内を出た神幸列は
約2時間半をかけて氏子地域を回り
北は金閣寺の手前まで
南は北野天満宮前の今出川通(いまでがわどおり)を通ります
平野神社の北側の入り口より境内に入り休憩します。こちらは神幸祭に加わっている鬼です。道中の邪気をお祓いする役目があります。
染色列です。平野神社の祭神に染物の神様がいる事から、神幸列に加わっています。
長丁場の為、14時前に
一度、平野神社に立ち寄り、約30分程の休憩を挟み
再び14時過ぎに再出発します。
15時過ぎに上七軒(かみしちけん)を通る花山天皇花山車です
上七軒と言えば、京都の花街の1つですよね。
数々のお茶屋さんが並ぶ他
すぐ近くには『上七軒歌舞練場(かみしちけんかぶれんじょう)』もあり
舞妓さんや芸子さんを見る事が出来るスポットの1つです
織姫列です。この特徴的な服装は天平年間(729-749)の頃に着られていたものを再現したそうです。
頼山陽母花見列(らいさんようはははなみれつ)です。幕末の文人、頼山陽が母親を籠に乗せて平野神社に花見をしに来た事から神幸列に加わっています。頼山陽について詳しくは京都 検定過去問 その145の記事をご覧下さい。
ちなみに、上七軒という名前の由来は
室町時代に北野天満宮が再建された際
残った材木を使い、7軒の茶店が建てられたからだそうですよ
という事で、上七軒の素敵な石畳の上を神幸列が通り
北野天満宮の前を通過して
15時半過ぎに平野神社へと戻り、行幸は終了です。
境内では多くの参拝者が、行幸から戻ってきた神幸列に対して
カメラを向けていましたよ~。
この後、引き続き境内では
鳳輦に乗った祭神の御霊を再び本殿へと返す
『還幸祭(かんこうさい)』が行なわれました
大勢の方が見守る中
再度、お祓いや祝詞の奏上をした後
本殿に御霊が返り
無事に全ての神事は終了です。
こうして約5時間半におよぶ桜花祭は終了しました。
桜花祭の巡行ルートはコチラ↓