こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは・・・
京都3熊野(きょうとさんくまの)です。
平安時代、天皇家では
熊野詣(くまのもうで)が流行っていました
これは
紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある
『熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社』という
熊野三山を参拝するというものです。
しかし、膨大な時間とお金が
かかってしまう為に
熊野の神を京都に勧請し、神社を建て
参拝したですね。
今回は、そんな『京都3熊野』と呼ばれる
3つの熊野神社をご紹介します
・熊野神社(くまのじんじゃ)
住所:京都市左京区聖護院山王町43
創建:811年
平安時代の僧、日圓(にちえん)によって建立された神社です
創建の際には
紀州から土や木を持ち込み
建てられたと言われています。
応仁の乱で焼失しましたが
江戸時代に入り、再建されました。
祭神には
伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の
夫婦が祀られている事から
縁結びや安産などのご利益があります。
また建立されている場所が
『八ツ橋』発祥の地である聖護院(しょうごいん)と呼ばれる場所で
この地の守護神としても崇敬されている神社です。
では続いて
2つ目の神社をご紹介します!
住所:京都市東山区今熊野椥ノ森町42
創建:1160年
後白河上皇により勧請された神社で
上皇は、平清盛に命令を出し
紀州から土や木の他にも
那智の浜の石を敷き詰めたと言われています。
『新』と書いて『いま』と呼ばれるのには理由があり
紀州にあった熊野の神社を『昔』
京都に持ってきた、新しい熊野の神社を『今』
と考えられた事から
新熊野と書いて「いまくまの」と呼ぶようになりました
境内にある『さすり木』は
後白河上皇、手植えの神木『楠木』の一部です。
上皇は、これを植えた事により
腹痛が治まったという故事から
さすると、腹痛が治ると言われています
室町時代には、能の祖で知られる
観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の親子が
ここで猿楽(さるがく・能の元となった芸能)を
足利3代将軍『義満』の前で演じた事がきっかけで
庇護されました
では最後の神社をご紹介します
・熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)
住所:京都府京都市左京区若王子町2
創建:1160年
こちらも新熊野神社と同様に、後白河上皇によって創建された神社です
境内にある
ご神木『梛(なぎ)の木』は
樹齢400年以上、高さ約15メートルの立派なものです
神社のお守りにも
梛の葉を使った梛守(なぎまもり)などがあります。
東山と呼ばれるエリアに位置する熊野若王子神社は
この辺りには多くの人が訪れます。
室町時代、8代将軍『義政』が
ここで花見をした事でも知られています。
そして、熊野神社と言えば
神使として知られる『八咫烏(やたがらす)』が有名です。
3本足の特徴的なルックスは
日本サッカー協会のシンボルマークにも使われていますよね。
このカラスは
神武東征(じんむとうせい・神武天皇が九州から近畿に東征し、大和を統一した話)の際に
神武天皇を先導したと
言われているんですよ。
という事で、今回は京都3熊野をご紹介させていただきました
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