こんにちは京子です。
今回は京都検定の過去問を
写真と解説付きで
出題させていただきたいと思います
皆さんもチャレンジしてみてくださいね。
では早速1問目です!
【問題】
肖像画の傑作として名高い「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能(ふじわらのみつよし)像」(いずれも国宝)は( )に伝えられた。
ア.高山寺(こうざんじ)
イ.西明寺(さいみょうじ)
ウ.神護寺(じんごじ)
エ.上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.神護寺
これらは『神護寺三像』と言われ
どれも、ほぼ実物大に描かれた巨大な肖像画です。
源頼朝像に関して
一説には頼朝ではなく足利直義(あしかがただよし)という
人物であるとも言われていますが
描き方の技法などから
鎌倉時代に書かれた可能性は高いそうですね。
ちなみに平重盛は平清盛の嫡男であり
平家を受け継ぐ人物として期待されましたが
父親である清盛よりも先に病死してしまったんですね。
現在放映中の大河『清盛』でも
徐々に登場シーンが増えている人物です
藤原光能は平安時代末期の貴族であり
天皇の秘書とも言える『蔵人頭(くろうどのとう)』にまで
出世した人物だそうですよ
では2問目です!
【問題】
玄宗(げんそう)皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝える通称「楊貴妃観音」は( )にある。
イ.六波羅密寺
ウ.東寺
エ.泉涌寺
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
エ.泉涌寺
世界三大美女の1人と言われる楊貴妃は
17歳の時に
唐の6代目皇帝『玄宗』の息子の妃(きさき)となります。
義理の父親にあたる玄宗は
彼女を寵愛し
政務をそっちのけで溺れてしまったと言われています。
しかも彼女だけでなく
彼女の家族や親戚までもが玄宗によって
高い地位に取り立てられたというんですから
彼女への愛情の深さが伝わってきますね。
しかし楊貴妃は38歳という若さで死んでしまい
玄宗は彼女を偲び
楊貴妃観音を造らせたと言われています
では3問目です♪
【問題】
吉井勇(よしいいさむ)をはじめ多くの文化人がひいきにした祇園のお茶屋・大友の女将は誰か。
ア.山川登美子
イ.磯田多佳
ウ.津崎矩子
エ.松本佐多
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
イ.磯田多佳(いそだたか)
現在、大友の跡地には『かにかくに碑』が建っています。
これは
祇園を愛した歌人、吉井勇が残した詩が刻まれたものです。
お店の常連には彼をはじめ
夏目漱石などの著名人や
多くの作家や画家・詩人が訪れたそうですよ。
磯田多佳は23歳で家業を継ぎ
大友の女将となったそうで
別名『文学芸妓』とも呼ばれたそうですよ
では最後の問題です!
1級からの出題になりますので選択肢ではありません。
ズバリでお答えください。
【問題】
天正19年(1591)、豊臣秀吉が建設を始めた京都を囲むための御土居(おどい)は当時、何と称されていたか。
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
京廻ノ堤(きょうまわりのつつみ)
全長、約22.5kmあったと推測される土手で
四角形にぐるっと取り囲まれた形をしていました。
この中に二条城や御所が入っており
御土居の中を洛中、御土居の外を洛外と呼んでいたんですね
御土居跡は廬山寺などで見る事が出来ますよ~。
という事で本日も4問出題させていただきました
みなさんは何問正解されましたか?