メモ2014-11-04
テーマ:お寺

今熊野観音寺

今回ご紹介するのは

京都市東山区にある

今熊野観音寺

今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)です!


今熊野観音寺は真言宗のお寺で

御寺(みてら・皇室の菩提寺)として有名な

泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭寺院の1つなんですよ


ちなみに今熊野観音寺

もともと東山観音寺(ひがしやまかんのんじ)と

称していたそうなんですね~


どうして東山から今熊野に変わったのかと言いますと

1160年(永暦元年)に

後白河上皇(ごしらかわじょうこう・後白河天皇 第77代)が

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を創建した際

改めて新那智山の山号を与えられ

今熊野観音寺となったんだそうです


ちなみに後白河上皇と言えば

洛陽三十三所観音霊場を提案した事でも

知られていますよね。


平安時代、平氏、源氏をうまく使って

権力を維持したといわれ

源頼朝(みなもとのよりとも・鎌倉幕府初代将軍)からは

『日本一の大天狗』と称されました


こま札

今熊野観音寺の創建は古く

平安時代の初め

弘法大師(こうぼうたいし)空海(くうかい)によって 建立されたと伝わっています。

※空海について詳しくは、東寺(教王護国寺)の記事をご覧ください。


空海はある日

東山の山中に

光明が差して瑞雲(ずいうん・吉兆として現れる雲)が

棚引いているのを見つけます


不思議に思ってその場所に行ってみると

そこには1人の白髪の翁がいたんですね~。


翁は

「この山には観世音がありますが

これは天照大神(あまてらすおおみかみ)の御作で

衆生済度(しゅじょうさいど)のために現れました。

この地にお堂を造って観世音をお祀りし

命ある全てのものをお救いしなさい。」と言い

空海に一寸八分(約5.4cm)の

十一面観世音菩薩像と宝印を与えたそうです。

※衆生済度とは、仏様が生きとし生けるもの全てを迷いの中から救って悟りを得させる事です。


空海は翁に対して

何者なのかを訪ねると

「自分は熊野の権現で、この地の守護神となるでしょう」

と告げたと伝わっています。


つまり仏様だったという事ですよね


その後、空海は

翁の言うとおりにお堂を建てると

自らも一尺八寸(約54cm)の十一面観世音菩薩像を彫り

その中に授かった一寸八分の像を

体内仏として納め、安置したんだそうですよ。


それでは早速中に入っていきましょう


今熊野観音寺

泉涌寺(せんにゅうじ)の山内にあります。


鳥居橋

この鳥居橋を超えれば

今熊野観音寺の境内に入っていけるんですね~


ちなみに今熊野観音寺

3大随筆の1つの『枕草子』の作者として知られる

清少納言(せいしょうなごん)ゆかりの地でもあります。


清少納言の父である

清原元輔(きよはらのもとすけ)の邸宅が

観音寺内にあったといわれているからなんですね~


また宮中に仕えた後も

晩年、尼となり

東山の月輪でひっそりと暮らしていたそうです。


鳥居橋を渡ると境内入り口があり

境内入り口


入り口を入ってすぐの所に

子護大師(こまもりだいし)があります。

子護大師

子供や孫の心身健康や学業成就などを

祈願するんだそうですよ


ちなみに祈願の方法は独特の作法があり

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と

唱えながら

四国八十八ヶ所の砂を踏んで

大師像を回ります!


そしてこちらが本堂です!

本堂

本堂の中には冒頭でお話した

弘法大師空海の手による

十一面観世音菩薩像が本尊として安置されています。


脇仏には

円珍(えんちん・平安前期の僧)の作と伝わる不動明王と

運慶(うんけい・平安後期~鎌倉初期の仏師)の作と伝わる毘沙門天が

安置されていましたよ


ちなみに空海が白髪の翁と出会ったのは

ちょうど本堂のあるこの場所なんだそうですよ。


そしてこちらは本堂内に飾られている

後白河法皇頭痛封じ霊験記

『後白河法皇頭痛封じ霊験記』です!


これは一体何なのかといいますと・・・


後白河法皇は以前から

頭痛に悩まされていたそうで

今熊野観音寺の本尊に

頭痛平癒の祈願をしたそうです。


するとある晩

後白河法皇の枕元に

観音様が現れて

後白河法皇の頭に光明を指したそうなんですね~


すると不思議な事に

後白河法皇の頭痛はたちまち治った

と伝わり、霊験記にはその様子が描かれているというわけなんです。


今熊野観音寺はこの事から

頭痛平癒のご利益があると信じられ

多くの人から崇敬されているんですよ♪


絵馬

絵馬です。西国三十三ヶ所観音霊場の第15番札所であり洛陽三十三所観音霊場の第19番札所なんですよ。


境内には頭痛封じのお守りや

枕宝布という枕カバーも売られていました!!


枕カバーという発想が面白いですよね


ちなみに本堂の左隣には地蔵堂が

地蔵堂


地蔵堂前の三重石塔

こちらは地蔵堂前の三重石塔


右隣には

大師堂

空海をお祀りした大師堂がありました。


大師堂の前には

ぼけ封じ観音が安置されています

ぼけ封じ観音


観音様のまわりには

ぼけ封じ祈願のための

石仏が所狭しと並んでいましたよ~

石仏


境内には頭痛封じのお守り以外にも

ぼけ封じのお守りなどもあるんですね


続いてこちらは五智水(ごちすい)です!

五智水

元から湧き出ていた水ではなくて

なんと!空海が今熊野観音寺を建てる際

錫杖で岩をうがたれた際に湧き出したと言われています


岩をうがつのも凄い事ですけれど

水が出てくるのもビックリなお話ですよね。


空海は、この水を観音御利生の水として崇め

『五智水』と名づけました。


現在も湧き出て飲む事が出来るので

今熊野観音寺を訪れた時は

霊水を味わってみてはいかがでしょうか


そしてこちらは医聖堂です。

医聖堂

平安様式の多宝塔で

堂内には、医学に貢献された多くの人が

祀られているんだそうですよ


こちらは

武見太郎之像(たけみたろうのぞう)です!

武見太郎之像

境内の大講堂の側に建てられています。


武見太郎は

GHQの幹部や厚生省の官僚と対決し

その事からケンカ太郎の異名を持つ

気骨あるお医者さんなんですね~。


さらに1957年からなんと25年間もの間

日本医師会長をつとめた人物でもあります


そんな今熊野観音寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る

最寄の交通案内

 JR 奈良線 東福寺駅(とうふくじえき)
 京阪電車 京阪本線 東福寺駅(とうふくじえき)
 市バス 202・207・208系統 泉涌寺道(せんにゅうじみち)


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