こんにちは京子です。
本日は京都検定の過去問を出題させていただきます
是非、試験の参考にしていただければと思います
では行ってみましょう~。
【問題】
平等院は、( )が父道長の別荘であった宇治殿を寺としたのが始まりとされる。
ア.藤原道兼(ふじわらのみちかね)
イ.藤原兼家(ふじわらのかねいね)
ウ.藤原頼通(ふじわらのよりみち)
エ.藤原教通(ふじわらののりみち)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
ウ.藤原頼道
1052年に寺院として創建したワケですけれど
でも、どうして別荘からお寺に
何か理由でもあったのかな
と、誰しもが疑問に思うかもしれませんが
当時(平安時代後期)は「末法思想」というのが
流行ってたんですよね。
この末法というのは
釈迦が亡くなってから、だんだん仏法が衰えて、仏法が滅び
天変地異が頻発するという仏教の思想の事なんです。
末法の時代に入ると、
もはや悟りを開く者はいなくなるとさえ言われていました。
この末法のはじまりの年に平等院を作ったんですね。
では、次にいってみましょう
【問題】
銀閣寺庭園には、白砂を円錐台形に盛り上げた( )がある。
ア.清め砂
イ.砂紋
ウ.立砂
エ.向月台
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
エ.向月台(こうげつだい)
銀閣寺は
室町幕府8代将軍『足利義政』の生み出した
東山文化の象徴的存在ですよね。
金閣寺が貴族的・華麗である北山文化とは対照的に
銀閣寺は庶民にも親しまれた、わび・さびの世界が東山文化なのです
後の茶道などもここから始まっているんですよ
【問題】
仁和寺(にんなじ)の通称「御室」は、創建した天皇がのちに出家し、寺内に自らの御室(僧房)を建立したことに由来するといわれるが、その天皇は誰か。
ア.嵯峨天皇
イ.宇多天皇
ウ.醍醐天皇
エ.白河天皇
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
イ.宇多天皇(うたてんのう)
世界遺産にも指定されている仁和寺は
888年、宇多天皇によって完成したお寺です。
※仁和寺の「仁和」とはこの時代の年号です。
宇多天皇は、897年に天皇の座を譲位し出家する事となり
仁和寺に「御室」を作りました
※室とは宿坊(つまり寝泊り)を意味するんだそうです。
そこで30年余りの間
修行に励まれたそうですよ~
この事から、仁和寺は別名「御室御所(おむろごしょ)」とも
呼ばれるようになりました。
※仁和寺に関して、詳しくは仁和寺 その1 仁和寺 その2の記事をご覧下さい。
では最後の問題です。
【問題】
嵯峨野の寺院( )は、藤原定家の歌「忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の待つぞなれてひさしき」にちなんで軒端寺(のきばじ)とも呼ばれる。
最後の問題は1級からの出題になりますので
選択問題ではありません。
ズバリお答えくださいね♪
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
小倉山に建つ常寂光寺。
もちろんこの小倉とは「小倉百人一首」の事ですね。
選定をしたのが藤原定家です。
境内にある謌僊祠(かせんし)というお堂には
定家の木造が安置されているんですよ。
というわけで
今回も4問出題させていただきました
皆さんは、何問正解されましたか