こんにちは京子です~

前回は北野天満宮で行われた、ずいき祭

近くにある粟餅所 澤屋をピックアップしたので

ここはもう一度、

北野天満宮の魅力を改めてご紹介したいと思いますっ。

題して・・・


北野天満宮 その2の三光門

北野天満宮 その2

では、いってみましょう~っ。


さて、北野天満宮と言えば

御祭神は菅原道真(すがわらみちざね)ですよね

彼は今では学問の神様として大変有名で、

受験生にご利益があると評判です


しかーし今でこそ学問の神様と言われておりますけれど

では、どうして彼を祀る為に

この北野天満宮が出来たのでしょうか


そこにはとても大きな理由があるんですよね~。

北野天満宮と合わせてその辺りの理由についても

ご紹介したいと思います。


北野天満宮 その2の一の鳥居

こちらは一の鳥居です

境内の中に入るまでにこのような大きな鳥居が幾つもあるんですよ


北野天満宮 その2 影向松(ようごうのまつ)

こちらは入ってすぐにある、影向松(ようごうのまつ)

初雪の日に御祭神である菅原道真がこの松に降りてきて

歌を詠むという言い伝えがあるそうですよ


そして、次に京子アンテナにひっかかったのがコチラっ

北野天満宮 その2 露の五郎兵衛

露の五郎兵衛石碑


よーく見ると、

何やらお話する人と、それを聞いている人が描かれていますけれど

17世紀後半、この境内で口演していたといわれるのが

露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)という人物!


彼は京落語(上方落語)の祖と言われる人で

この北野天満宮は

上方落語発祥の地と言われているんですね~っ


そして、学問、落語と続いて・・・次は


北野天満宮 その2 北野大茶湯之址

お茶っ!

北野大茶湯之址ですね~。

1587年、豊臣秀吉が九州を治めた事と

聚楽第(じゅらくだい)造営を記念し

ここで行われたのが

北野大茶之湯(きたのおおちゃのゆ)というイベント。

千利休などの全国から茶人や、

それに加え

身分を問わず庶民を集め行われた茶会だったんですね。


北野天満宮 その2 太閤井戸

こちらはその際に使われたとされる「太閤井戸」

もちろん、太閤とは秀吉の事ですね

※摂政、関白を譲った人を太閤と言います。つまり元関白であった秀吉が太閤となったんですね。


北野天満宮 その2の楼門

そして、こちらの楼門を過ぎてどんどん中に入っていくと


最初にアップした写真である

重要文化財の「三光門」があるんですね


この三光門、

今年の1月にアップした「北野天満宮その1」でも謎だった

「日」「月」「星」の3つの彫刻っ

三光門の名前の由来はここから来ているんですね~

つまり三つ光とは、日、月、星という事です。


そして

なんでも

この三光門にその3つの彫刻があるという事っ。

今回はがんばって探してみましたーっ


で、ゲットできたのがまずコチラっ

北野天満宮 その2 三光門の「日」

「日」

そして、月が

北野天満宮 その2 三光門の「三日月」

コチラっ。三日月ですね。

北野天満宮 その2 三光門の「月」

こちらも月ですね。


あれ?

じゃあ残る星はと言いますと・・・

三光門にはもともと星の彫刻は無く、

旧大極殿から真北に位置する中門の上空に輝く

北極星を三光の星に見立てたとも言われています。

別名「星欠け門」とも言うそうですよ~。

諸説によると、三光は上記の三つで「三日月」「日の出」「日の入り」を表しているとも言われてます。


さて、冒頭でもお話したように

学問の神様として大変有名な菅原道真。

北野天満宮にそもそも祀られた理由とは何だったのでしょう

そのきっかけとなるのがコチラ


901年 昌泰の変(しょうたいのへん)

道真は幼い頃より学問に励み文章博士(もんじょうはかせ)という中国の歴史や漢字を教える先生になり、その後、大出世をし宇多天皇に重宝され、天皇の秘書にまで大抜擢されるんですね。


しかし

宇多天皇から醍醐天皇に代わると

当時、左大臣だった藤原時平(ふじわらのときひら)に

デマを流された挙句

・・・なんと左遷されてしまいます


つまり、藤原時平から見れば、道真は政敵だったワケなんです

※この辺りのエピソードは菅大臣神社で詳しく書かせてもらってま~す。


北野天満宮 その2の社殿

こちらは社殿になります。


北野天満宮 その2 牛の立像

北野天満宮には多くの牛の像や彫刻があり、全て横たわった牛ばかりなんですけど、この一頭だけ立像の牛があるのかは神秘的で今もって謎とされるところだそうです。


北野天満宮 その2の絵馬

天満宮では牛は神様のお使い(神使)とされていて、その理由としては道真の干支が丑年だった為や、牛が刺客から道真を守った、道真のお墓の場所を太宰府天満宮と決めたのが牛だったなど数々の諸説があるようです。


政敵として、菅原道真は左遷されましたが

貴族の中でただ一人、道真を励ました男というのが

藤原忠平(ふじわらのただひら)です


彼は時平の弟でありながら、道真と親交が深かったと言われていて道真に度々手紙を送っていたようです。


それにしても、藤原氏は道真を政敵としながらも、うまく懐柔していたんですね~


さて、左遷された道真は

結局、京に戻る事が出来ずにそのまま死去・・・。


ここからです

道真がスゴいのは!(汗)

そうです


・・・道真の祟りが始まりるのです


醍醐天皇がいる京都の「清涼殿」に大きな雷が落ち

公卿たちが数名か死亡したり、その事により醍醐天皇もショックで体調を崩し崩御。

※本来、雷様は天神様でしたが、それが道真の祟りが雷だった為、道真=天神様と同一視されていくようになりました。


そして藤原時平も39歳という若さで死亡します。

その他にも次々と関係者が死んでいく中

道真を励ました男・・・・


( ´Д`)藤原忠平だけはピンピンしてました。

つまり、こりゃやっぱりどう考えても


道真の祟りに間違いなーーーーーい!となったわけなんですね(汗)


そして、この祟りをどうすれば抑えられる

と考えた結果

出来たのが、この北野天満宮だったのです!


全国に1万2000社も天満宮があるという事は、当時の人がどれだけ道真の祟りを恐れていたのか簡単に想像がつきますよね・・(汗)


というわけで

今では雷も科学で証明され、祟りなどという話は消え去り

学問の神様としてみなさんに親しまれているというワケだったんですね。


そんな北野天満宮の場所はコチラ↓

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