京田辺で39.9度を記録しちゃいましたね。。。
何処までも続く暑さに負けて過去に撮りためた
「法住寺」です
法住寺と頭にハテナマークが浮かんだ人は
「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」と言えば
ご存知の方も多いはず
この有名過ぎる三十三間堂が法住寺の前身
法住寺殿の御堂の一つに過ぎなかったというから驚きです
本尊の「身代わりさん」として親しまれている不動明王です
もとは、藤原為光(ふじわらのためみつ)によって夫人と娘の菩提を弔う為に建てられたのに、
なんと燃えちゃうんです
その敷地は、当時、北は七条通りからと言ってもピンッとこないので
目測で図ってみましたっー
だいたい、御所 の半分くらい…
つ・・・伝わるかな、かな
とっ、とにかく、大きいんです
その後、頼朝曰く「日本一の大天狗 」こと後白河上皇の御所として
法住寺殿が完成し長く続くかに思われたその時
歴史は動いちゃいました
木曾義仲こと「源義仲(みなもとのよしなか)」です
そういえば、義仲と言えば側室の巴御前 が有名ですよね
後の創作とも言われてますが
船鉾 の時にご紹介した、「神功皇后」みたいに強い女性で
その実力は、一騎当千で美女だったとか
新しくなった本堂です。
昨日ご紹介した大石良雄 も、討ち入り前に参拝したそうですよ
赤穂浪士四十七士の像も安置されているのですが、撮影禁止でした
宇治川の合戦 では、5万人いた義仲軍は5人まで減り
なんとその中に、巴御前もいたんですよね
宇治川の戦場を脱出する際に、前方に立ちふさがった敵将には
「こやつは女じゃない。鬼神よりも勝る!」
とまで言われたそうなんですよー
普段はこの姿なんだそうですが、
イベント時には護摩が焚かれる場所でもあるそうですよ
そんな巴御前が、幼馴染でもあり、とても慕ったのが源義仲その人です
義仲は、
平家を都から追い出したとして「朝日将軍」の異名も持ち
この「朝日」とは、源義仲の別称:木曾義仲で呼ばれる
「木曾」・・・つまりは、東の方向にあり
東と言えばお天道様の昇る方向です
つまりは、日の出の勢いで平家を討伐して京を奪還したとして
朝日将軍と称えられたんですねぇ
豊川枳尼真天と厳島弁財天が奉られていました
でも、京都の人に取っては朝日の様な暖かさはなかったようです
なぜなら、唯でさえ平家の横暴で
荒廃していたのに平家討伐の名の元に人々に対して
略奪の限りを尽くしたとして
「平家の方がまだマシ!!!!!」
とまで言われたそうなんです
その横暴に我慢ならんとなった後白河上皇
同じ源氏の「源頼朝」に義仲討伐を命じます
そもそもの発端は、
こちらは、旧御陵正門
一見すると中国風ですよね
似人王:「天皇家に権力戻したいよーっ」
「平家なんて邪魔だなぁ!朝廷に入ろうとしてるし!」
と、平等院の所でお話しましたよね
その後、全国的に源氏が挙兵し
その中には、
頼朝や、義経、そして木曾義仲こと
源義仲も挙兵しました
ここら辺のお話は、
除いてみて下さいな
巡るめく京子ブログです(笑
実はここのお寺には、
生前、「サザエさん」の作者で有名な長谷川町子先生が訪れて
先代住職とお話された縁で遺骨が安置されているんだそうです
そんなサザエさんのお話の途中なら
言えちゃいます!!
後白河上皇の尊像を安置している
後白河天皇法住寺陵を撮ってくるの忘れてましたorz
次回ちゃんと撮ってきます
そんなサザエさんの作者長谷川町子さんも眠る法住寺の場所はこちら↓
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