2016-02-17 | |
テーマ:お寺 |
関連:南禅寺 / 南禅寺 大寧軒 / 南禅寺の紅葉 / 慈氏院 / |
天授庵
今回ご紹介するのは
京都市左京区の南禅寺(なんぜんじ)境内にある
天授庵(てんじゅあん)です!
天授庵は、臨済宗南禅寺の
塔頭(たっちゅう)の1つで
境内にある三門の南に位置しています
1339年(暦応2年)に光厳天皇
(こうごんてんのう:北朝初代)の
勅許(ちょっきょ:天皇の許可)によって
虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺を開いた
大明国師(だいみょうこくし)
無関普門(むかんふもん)の
塔所(たっしょ)として創建しました。
※塔所というのは高僧の死後、その遺骨や遺灰等を納めて、お祀りする墓所の事を言います。
天授庵と書かれています。
その後、戦国時代に一時荒廃したそうですけれど
1602年(慶長7年)、武将であり歌人でもある
細川幽斎(ほそかわゆうさい)が
細川家の菩提寺として再興したんですね
それでは早速、中に入っていきましょう
天授庵の三門
こちらの山門をくぐって中に入ると
目の前には、庫裏(くり)があります
庫裏というのは、お坊さん達が
食事の用意等をするのに
用いられる場所の事ですよ~
庫裏(くり)
そして、その庫裏から方丈の方へと移動すると
大明国師木像や細川家の歴代位牌が
安置されていました
また、方丈内には江戸時代の天才絵師
長谷川等伯(はせがわとうはく)が
描いたとされる
『商山四皓図(しょうざんしこうず)』や
『禅宗祖師図(ぜんしゅうそしず)』
『松鶴図(しょうかくず)』の複製が
飾ってありましたよ~
方丈に掛けられている「天授庵」と書かれた額
方丈内は写真撮影が禁止となっていましたので
看板を撮った写真でイメージを膨らませて下さい♪
禅宗祖師図(ぜんしゅうそしず)の一場面「懶瓚煨芋図(らんさんわいうず)」。皇帝の使者の前で、鼻水や涙をぬぐわず芋を食べている様子。
ここで長谷川等伯についても少しご紹介しますと・・・
長谷川等伯は、現在の石川県七尾市である
能登国七尾(のとのくにななお)出身の
桃山時代を代表する絵師で
33歳を過ぎた頃、養父母の死をきっかけに
息子である久蔵(きゅうぞう)と共に
上洛したといわれています
京都で絵を売り歩いて
生計を立てていた等伯は
当時、主流であった
100年以上の歴史ある
『狩野派(かのうは)』に
強烈なライバル心を
抱いていたんですね~
ちなみにその時の狩野派のトップは
天才絵師として天下に知られた
『狩野永徳(かのうえいとく)』です!
永徳は、宮中のお公家さんや
時の権力者であった織田信長(おだのぶなが)
そして、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に
大変気に入られていた人物でもあるんですね
対して等伯はと言いますと
北陸の石川県七尾から出てきて
コツコツ頑張ってはいましたけれど
まだまだ大きな仕事など
任せてもらえる存在ではありませんでした
と、言いますのも、いつの時代もそうですけれど
実力だけでは、なかなか大きな仕事は
任せてもらえないというものです
一言で言うならばコネ、人脈
後ろ盾が無いとダメという事ですよね
では、そんな等伯がどうやって
桃山時代を代表する絵師にまで
上りつめたのか気になりませんか?
そこで先程の後ろ盾が重要になってきます!
等伯は当時、狩野派とは
あまり親しくなかった
千利休(せんのりきゅう)と
親しくしていたといわれています
利休は、等伯の実力を十分に知っていましたから
ある時、大徳寺(だいとくじ)の三門
金毛閣(きんもうかく)を寄進する際に
その装飾画を等伯に依頼するんですね~
大徳寺の三門、金毛閣(きんもうかく)
それまで大徳寺の装飾画は
狩野派が牛耳っていましたから
これはもうものすごい事でした
ついに等伯に巡ってきた大役です!
等伯はこの時、天井画と柱絵を手がけ
大徳寺三門の天井画を描いた絵師として
『京都に等伯あり!』と
知らしめたというワケなんですね~!
その後、徐々に寺院等の
障壁画を手がけるようになっていき
永徳が亡くなった事をきっかけに
さらに大きな仕事が入り
豊臣秀吉の子、鶴松(つるまつ)の菩提寺である
『祥雲寺(しょううんじ)』の襖絵を描くと
秀吉に大変気に入られて、名実ともに
時代を代表する絵師へと成長していきました
100年以上続く名門狩野派に
たった一代で肩を並べた等伯!
そこには並々ならぬ努力があった事でしょう
と、話がやけに長くなってしまいましたけれど
引き続き天授庵を紹介しますね
こちらは、方丈前の東庭で
苔の中に敷石(しきいし)を鉤型鱗敷
(かぎがたうろこじき)にした
石畳が特徴的な枯山水庭園の
『淵黙庭(えんもくてい)』です。
淵黙庭(えんもくてい)
この直線的な構成は
茶人や作庭家として知られる
小堀遠州(こぼりえんしゅう)の
発案といわれているんですよ~
鉤型鱗敷の石畳
そしてこちらは
方丈からさらに奥に進んで行くと
方丈庭園から書院庭園へと続く道
大書院があります
大書院
また、書院の南側には
南北朝時代に作庭されたとされる
池を中心とする池泉回遊式庭園
『澄心庭(ちょうしんてい)』が
あるんですね~
書院南側の池泉回遊式庭園、澄心庭(ちょうしんてい)
澄心庭
そして、こちらは細川幽斎好みの茶室跡に
造られた松関席です
松関席
利休が残した唯一の茶室で現存最古
妙喜庵(みょうきあん)の『待庵(たいあん)』の
写しといわれています
という事で今回は
南禅寺の塔頭寺院である
天授庵をご紹介しました!
澄心庭に配置された手水鉢
天授庵は、紅葉の名所でもありますので
秋の紅葉シーズンに訪れるのも
いいかと思います
そんな天授庵の場所はコチラ↓
最寄の交通案内
1 ■無題
ストーリーテラーですね。ほんと参考になります。
観光ガイドが本業なんじゃないかと見間違うばかりの才能ですね。
江戸っ子太郎さん 2016-06-06 08:58:14
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