2015-09-28 | |
テーマ:カフェ・スイーツ |
本家尾張屋(そば餅)
今回ご紹介するのは
京都市中京区車屋町二条にある
本家尾張屋(ほんけおわりや)の
そば餅(そばもち)です!
こちらの本家尾張屋は
その名のとおり尾張(おわり)から
京都に出てきて創業されたお店で
現在、4店舗を構えています
数奇屋(すきや)風の建物の本店。現在地へは、約130年前に移ってきたそうです。
ちなみに尾張というのは
現在の愛知県西部の事で戦国時代には
織田信長(おだのぶなが)や
豊臣秀吉(とよとみひでよし)をはじめ
柴田勝家(しばたかついえ)、丹羽長秀(にわながひで)
前田利家(まえだとしいえ)等の
有名な戦国武将を世に輩出した土地であります
その尾張の地から
1465年(寛正6年)に京都に出てきて
お菓子屋の創業を開始したんですね。
創業寛正6年と書かれた看板
1465年といいますから、1467年に起こった
応仁の乱(おうにんのらん)の2年前!
今年が2015年ですから・・・
なんと!550年以上続いている
老舗中の老舗だったんですね~
その後、1700年頃の江戸時代中期に
中国大陸から蕎麦切りが入って来ると
京都の禅寺でも蕎麦切りが作られたそうで
その際、『練る、伸ばす、切る』
といった技術を持っている
京都のお菓子屋さんに注文が来るようなり
本家尾張屋でも、お菓子に加えて
蕎麦切りが作られるようになりました!
ちなみに古くから日本でも蕎麦の栽培は
行われていたそうですけれど
蕎麦切りという麺にして
食べられるようになったのは
この頃からなんだそうですよ
そんな本家尾張屋は
日本で最も古い蕎麦屋で、江戸時代
『御用蕎麦司(ごようそばつかさ)』
となって、御所への出入りが許可され
時には、お蕎麦を打ちに
御所へ行った事もあるそうです。
明治以降は宮内庁御用達にもなりました
御用蕎麦司と書かれた暖簾
けれど本家尾張屋の始まりはなんといっても
お菓子屋ですよね♪
という事で今回はお蕎麦では無く
本家尾張屋のお菓子をご紹介したいと思います
そば餅の包装
本家尾張屋の名物菓子と言えば!
江戸時代末期から明治にかけて
13代目当主が考案したといわれている
こちらの『そば餅』です!
ちなみに13代目当主は
1つ1つの饅頭を紙で包装する事を
始めた人物でもあるそうです。
そば餅を実際に食べてみると・・・
口に入れた瞬間に
まずお蕎麦の香りがパッと広がり
次にたっぷり入った餡の甘さが
ドーンと伝わってきます
餡がたっぷりのそば餅
食べ応えのある饅頭(まんじゅう)で
とってもおいしいんですよ~
って今、饅頭って今、言っちゃったじゃないですか!
お餅が全然入ってないんです!!
ちょっと店員さーん・・・
というワケではなく
実は本家尾張屋のそば餅には
もともとお餅が入っていないんですね~。
お店の人が入れ忘れちゃった
とかではないんですよ
では、どうしてお餅が入っていないのに
そば餅と呼ぶのかといいますと・・・
かつては丸いものを総称して
単に『餅(もち)』と呼んでいたそうで
尾張屋のそば餅には
その名残が残っているというワケなんですね!
そば餅とは、小麦粉、そば粉、卵
そして砂糖といったものを
混ぜ合わせて作った皮に
北海道産小豆のこし餡を包んで
天火で焼いた饅頭の事なんです
本家尾張屋のそば餅は
そば粉を使ったお菓子の先駆け的存在で
京都でそば餅と言えば
本家尾張屋と言われる程!
御通夜のお悔やみを伝える
夜伽見舞い(よとぎみまい)のお菓子としても
重宝されているんだそうですよ。
ちなみにそば餅と一緒に写っている
薄い板のようなものは
蕎麦板(そばいた)というお菓子で
蕎麦のように生地を薄く延ばして
短冊状に切ったものを一文字釜で
焼き上げたものです
食べるとパリパリと香ばしいお菓子なんですね
という事で今回は
本家尾張屋のそば餅をご紹介しました~♪
店内の様子
本家尾張屋では、店内で食べる他にも
持ち帰りがありますので、お近くに来られた際には
是非、お立ち寄りになってみて下さいね
本家尾張屋本店の場所はコチラ↓
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