2015-06-10 | |
テーマ:神社 |
関連:千団子授与(八坂神社御供社) / |
八坂神社御供社
今回ご紹介するのは
京都市中京区の三条商店街にある
八坂神社御供社(やさかじんじゃごくうしゃ)です!
八坂神社御供社は
八坂神社の境外末社で
祗園祭(ぎおんまつり)には無くては成らない
御旅所(おたびしょ)となっているんですね~
※御旅所とは、神社の祭で神様を乗せた神輿巡行をする際、神様が休憩、お泊りする場所の事です。
八坂御供社と書かれた額
ちなみに祗園祭の御旅所は
四条通に四条御旅所がある事から
2番目の御旅所という事で
『又旅所(またたびしょ)』とも
呼ばれているそうですよ
※四条御旅所から北西の方角にあり約1.5km離れた所にあります。
祗園又旅御供社と刻まれた石碑
祇園祭の起源についても
簡単にご紹介しますと・・・
祇園祭の歴史は古く
869年(貞観11年)に
京の都に疫病が流行った際
牛頭天王(ごずてんのう)の祟りや
怨霊の仕業と考え、祟りを鎮める為に
神泉苑(しんせんえん)で
御霊会(ごりょうえ)を行った事に
始まるといわれているんですね
※牛頭天王とは、釈迦が説法をしたインドの祇園精舎の守護神の事です。祟り神。日本では、素戔嗚尊と同一視されています。
御霊会では、当時の日本の国の数である
66本の鉾を作り、祗園社(八坂神社)からの神輿と共に
町を練り歩き疫病退散させたそうですよ
ちなみにこの66本の鉾が
後の山鉾になるんですね~
最初は、疫病が流行った時だけ
御霊会を行っていたみたいなんですけれど
970年(天禄元年6月14日)以降は
毎年行われるようになりました
そして神泉苑の東南の端には
牛頭天王を祀った社が
設けられたそうです
この社こそがご紹介する
八坂神社御供社につながっていくんですよ
こま札
現在の八坂神社御供社を知っている人には
あれれ?神泉苑の敷地から
随分、離れた所にあるけれど
という声が聞こえてくるかも知れませんね
その理由は
神泉苑のすぐ北にある、ある建物・・・
というよりお城に関係しています。
神泉苑北にあるお城と言えば
二条城ですよね
実は江戸幕府初代征夷大将軍である
徳川家康(とくがわいえやす)が
二条城を築城する際に
神泉苑の敷地を狭めたので
現在の様になったんですね
そして時は流れ、1906年(明治39年)になり
八坂神社の末社となって、現在に至るというワケです!
八坂神社御供社と書かれています。
境内はとても広いとは言えないんですけれど
それでも御神木があり、拝殿があり
商店街にあるにもかかわらず
静謐(せいひつ)が保たれていました
※静謐とは、静かで落ち着いている様子です。
ご神木
こちらは拝殿です。
拝殿には
牛頭天王と同一視されている
素戔嗚尊(すさのをのみこと)と
素戔嗚尊の后である櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
そしてその子供達である
八柱御子神がお祀りされています
※素戔嗚尊について詳しくは、祇園祭 2012 疫神社夏越祭(疫神社)の記事をご覧ください。
そんな八坂神社御供社では毎年7月23日に
翌日の祇園祭の還幸祭(かんこうさい)を控え
オハケ清祓式(おはけきよはらいしき)が行われます。
※オハケ清祓式について詳しくは、祇園祭 2012 オハケ清祓式(御供社)の記事をご覧下さい。
還幸祭では、神輿が奉安され
神饌を御供えして御供社奉饌祭
(ごくうしゃほうせんさい)が行われます。
御供社奉饌祭
還幸祭の翌日25日には
神輿にお供えされた団子のお下がりである
千団子の授与も行われているんですよ。
無病息災にご利益があるそうです♪
千団子
という事で、今回は八坂神社御供社を
ご紹介しました
祗園祭が今年ももうすぐ始まりますけれど
祇園祭のルーツを知れば
より一層お祭を楽しめる事間違い無しですよね
八坂神社御供社の場所はコチラ↓
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