2015-03-27 | |
テーマ:史跡 |
足抜地蔵
今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
足抜地蔵(あしぬけじぞう)です!
この足抜地蔵は
妙蓮寺(みょうれんじ)の南
灰屋図子(はいやずし)と呼ばれる
京都の豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき:佐野紹益)を
はじめとする灰屋一族が
住んでいた場所にあるんですよ~
ちなみに図子とは、辻子とも書き
家と家の間を通るような細い道の事です
京都にはこのような図子が
いくつも存在しているんですね。
さてそんな場所にある
足抜地蔵なんですけれど
足抜地蔵
こちらのお地蔵さんの名前
なんだかとってもユニークと思いませんか♪
それもそのはず
このお地蔵さんは
もともとは京都の遊郭である
島原の大門横に
島原大門。島原の遺構です。
安置されていたものだそうで
そこでのとあるエピソードから
このように呼ばれているんですね
そのエピソードとは・・・
江戸時代末期
島原での生活が嫌で
逃げ出した1人の遊女がいました
角屋(すみや)。島原の遺構です。
その時、島原の女将さんは
お地蔵さんにお参りをしていたそうです。
すると不思議な事に
逃げた遊女が3日も経たずに
見つかったといわれています
それ以降、このお地蔵さんの事を
『足止地蔵(あしどめじぞう)』と
呼ぶようになったみたいなんですけれど・・・
ある時
西陣織の職人と恋に落ちた島原の遊女が
「足止め地蔵さえなければ逃げ切れるに違いない!」
と思い、なんと!お地蔵さんを背中に背負って
島原を逃げ出したそうなんです
輪違屋(わちがいや)。島原の遺構です。
お地蔵さんを背負うという
発想も驚きですけれど
実際に実行するというのも
凄い事ですよね
それ程、好きになった相手だったんでしょうね
けれど逃げている途中
灰屋図子辺りでどういうわけか
それまで背負っていたお地蔵さんが
突然重くなったんだそうですよ
遊女は仕方が無いので
お地蔵さんを
この地に降ろしたといわれています
その後、西陣織の職人と島原の遊女は
無事に逃げ出す事が出来たみたいで
めでたく2人は結ばれ
幸せになったそうです
このエピソード以降
足止め地蔵は『足抜地蔵』と
呼ばれるようになったというワケなんですね~
足抜地蔵と書かれた提灯。
そんな足抜地蔵には
遠方からもお参りにくる人がいるそうで
お酒やギャンブルを止めたいという方
会社や友人関係のグループ等を
抜けたいと願う人から
信仰されているそうですよ
交友関係で悩んでいる方は
お参りにいってみてはいかがでしょうか
そんな足抜地蔵の場所はコチラ↓
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