今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
![足抜地蔵(あしぬけじぞう)](2015/03/27/01/2015-03-27-2.jpg)
足抜地蔵(あしぬけじぞう)です!
この足抜地蔵は
妙蓮寺(みょうれんじ)の南
灰屋図子(はいやずし)と呼ばれる
京都の豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき:佐野紹益)を
はじめとする灰屋一族が
住んでいた場所にあるんですよ~
![灰屋図子(はいやずし)](2015/03/27/01/2015-03-27-1.jpg)
ちなみに図子とは、辻子とも書き
家と家の間を通るような細い道の事です
京都にはこのような図子が
いくつも存在しているんですね。
さてそんな場所にある
足抜地蔵なんですけれど
![足抜地蔵](2015/03/27/01/2015-03-27-3.jpg)
足抜地蔵
こちらのお地蔵さんの名前
なんだかとってもユニークと思いませんか♪
それもそのはず
このお地蔵さんは
もともとは京都の遊郭である
島原の大門横に
![島原大門](2015/03/27/01/2015-03-27-7.jpg)
島原大門。島原の遺構です。
安置されていたものだそうで
そこでのとあるエピソードから
このように呼ばれているんですね
そのエピソードとは・・・
江戸時代末期
島原での生活が嫌で
逃げ出した1人の遊女がいました
![角屋(すみや)](2015/03/27/01/2015-03-27-8.jpg)
角屋(すみや)。島原の遺構です。
その時、島原の女将さんは
お地蔵さんにお参りをしていたそうです。
![足止地蔵(あしどめじぞう)](2015/03/27/01/2015-03-27-5.jpg)
すると不思議な事に
逃げた遊女が3日も経たずに
見つかったといわれています
それ以降、このお地蔵さんの事を
『足止地蔵(あしどめじぞう)』と
呼ぶようになったみたいなんですけれど・・・
ある時
西陣織の職人と恋に落ちた島原の遊女が
「足止め地蔵さえなければ逃げ切れるに違いない!」
と思い、なんと!お地蔵さんを背中に背負って
島原を逃げ出したそうなんです
![輪違屋(わちがいや](2015/03/27/01/2015-03-27-9.jpg)
輪違屋(わちがいや)。島原の遺構です。
お地蔵さんを背負うという
発想も驚きですけれど
実際に実行するというのも
凄い事ですよね
それ程、好きになった相手だったんでしょうね
![地蔵尊と刻まれています。](2015/03/27/01/2015-03-27-6.jpg)
けれど逃げている途中
灰屋図子辺りでどういうわけか
それまで背負っていたお地蔵さんが
突然重くなったんだそうですよ
遊女は仕方が無いので
お地蔵さんを
この地に降ろしたといわれています
その後、西陣織の職人と島原の遊女は
無事に逃げ出す事が出来たみたいで
めでたく2人は結ばれ
幸せになったそうです
このエピソード以降
足止め地蔵は『足抜地蔵』と
呼ばれるようになったというワケなんですね~
![足抜地蔵と書かれた提灯](2015/03/27/01/2015-03-27-4.jpg)
足抜地蔵と書かれた提灯。
そんな足抜地蔵には
遠方からもお参りにくる人がいるそうで
お酒やギャンブルを止めたいという方
会社や友人関係のグループ等を
抜けたいと願う人から
信仰されているそうですよ
交友関係で悩んでいる方は
お参りにいってみてはいかがでしょうか
そんな足抜地蔵の場所はコチラ↓