2015-03-05 | |
テーマ:京都検定対策問題 |
京都検定対策問題 その53
本日も京都検定の対策となりそうな問題を
作成してみました。
ぜひ問題にチャレンジしてみてください。
では1問目です。
【問題】
泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭寺院の1つで日本最古の写経道場としても有名な寺院はどこか。
ア.雲龍院(うんりゅういん)
イ.悲田院(ひだいん)
ウ.来迎院(らいごういん)
エ.善能寺(ぜんのうじ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ア.雲龍院
泉涌寺・本坊の少し南に位置する
雲龍院は後光厳天皇(ごこうごんてんのう・北朝第4代天皇)の
勅願により建てられた寺院なんですね
写経は誰でも体験する事ができ
使用する机は
後水尾天皇(ごみずのおてんのう・第108代天皇)によって
寄進されたものなんだそうですよ
また源光庵(げんこうあん)にもある
『悟りの窓』と
『迷いの窓』がある事でも知られています
引き続き2問目です。
【問題】
織田信長の戒名から取られたとされる豊臣秀吉創建の寺院はどこか。
ア.大光院(たいこういん)
イ.玉林院(ぎょくりんいん)
ウ.真珠庵(しんじゅあん)
エ.総見院(そうけんいん)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
総見院は信長の戒名である
『総見院殿贈大相国一品泰巌尊儀(そうけんいんでんぞうだいしょうこくいっぽんたいげんそんぎ)』から取られたといわれているんですね。
また総見院と供に作られた
実物大の織田信長坐像は
重要文化財に指定されています
そして境内には
豊臣家の家紋である『五七桐(ごしちのきり)』が
内部に描かれた
『寿安席(じゅあんせき)』や
『龐庵(ほうあん)』
『香雲軒(こううんけん)』
という3つの茶室があるんですよ♪
3問目にいってみましょう。
【問題】
織田有楽斎(おだうらくさい)ゆかりのお寺で如庵(じょあん)という茶室がある建仁寺(けんにんじ)の塔頭寺院はどこか。
ア.清住院(せいじゅういん)
イ.堆雲軒(たいうんけん)
ウ.久昌院(きゅうしょういん)
エ.正伝永源院(しょうでんえいげんいん)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
『正伝院』と『永源庵』という2つのお寺が
明治時代になり合併した寺院なんです
※永源庵は建仁寺第39世『無涯仁浩(むがいにんこう)』により創建されたといわれています。
織田有楽斎は織田信長の末弟であり
大名茶人でもある人物なんですよ♪
境内には有楽斎や夫人のお墓もありました。
如庵は
キリスト教徒であった有楽斎の
洗礼名である『Joan(ジョアン)』から名付けられた
という説もある国宝の茶室です
※当時の建物は愛知県へと移築され現在あるものは復元されたものです。
では4問目の問題です。
最後の問題は選択肢ではありません。
ズバリでお答え下さい。
【問題】
後桜町上皇(ごさくらまちじょうこう)が仮御所とした青蓮院(しょうれんいん)にある元々は学問所として使われていた茶室の名前は何か。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
好文亭(こうぶんてい)
好文亭は
四畳半の茶室3部屋と
六畳の仏間、水屋等からなる
茶室なんですね
※春と秋の特別公開ではお点前を楽しむ事ができます♪
元々は天明の大火(1788年)で
後桜町上皇(第117代天皇)が仮御所として
青蓮院に避難した際
御学問所として使っていたものが
明治以降、茶室として
利用されるようになったみたいです
平成5年に起きたゲリラ事件で
残念ながら消失してしまうんですけれど
所蔵されていた図面などから
木材等も当時と同じ材質を使用して
忠実に再建したそうです
という事で今回も4問出題させて頂きました。
皆さんは何問正解されましたか?
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