2014-10-02 | |
テーマ:お寺 |
浄円寺
今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
浄円寺(じょうえんじ)です!
こちらの浄円寺には
池田屋事件(いけだやじけん)で知られる
ある人物のお墓がある事で有名なんですよ。
新選組ファンや幕末ファンの方が
お参りに訪れたりするそうです
ある人物については
また後ほどご紹介させて頂くとして
まずは浄円寺について
簡単にご紹介したいと思います!
こちらの浄円寺は
知恩院派・浄土宗のお寺で
山号は清涼山といいます。
浄円寺の創建については
文献などが残っていないらしく
詳しくはわからないのだそうですけれど
約400年程前には、この地にあったみたいですね~
ちなみに浄円寺は通常非公開で
観光寺院ではありません。
けれど今回
『京都浄土宗寺院特別大公開』で
今日だけ公開されていました
というわけで
早速お参りしてきましたよ~♪
山門の前には
石碑が建てられており
『乾観世音 第十九番』と
刻まれていました。
観音巡りの札所に
なっていたんだと思いますけれど
いつ頃のもので他にどこがあるのか
まったくわからないそうです
そして山門をくぐると
目の前に本堂があります。
こちらの本堂には
ご本尊である阿弥陀如来立像が
安置されていましたよ。
ご本尊の右側には
観音様が安置されており
こちらの観音様が門前の石碑に書かれていた
乾観世音なんだと思います
こちらはご朱印です。
さてさて
冒頭でも触れました
ある人物のお墓とは・・・
池田屋惣兵衛(いけだやそうべえ:入江惣兵衛)の お墓なんです!
惣兵衛は
池田屋事件で知られる
池田屋の主人だった人物です
惣兵衛は、諸説ありますけれど
長州出身(今の山口県)であったと言われ
そのためかわかりませんけれど
池田屋は長州藩士の定宿となっていたようです。
そして1864年(元治元年)
祇園祭の宵々山の日
ある事件が勃発します!
皆さんご存知の
『池田屋事件』です
池田屋のあった場所に建つ池田屋騒動之址と刻まれた石碑です。
この騒動は
新選組が旅籠屋(はたごや・旅館)である
『池田屋』に集まっていた
長州藩士らを襲撃し
彼らの計画していた犯罪を未然に防いだ事件ですよね。
※新選組について詳しくは、新選組ゆかりの地巡りをご覧ください。
その計画は
風の強い日を選んで御所に火を放ち
佐幕派大名らを殺害して
天皇を拉致し長州に連れて行く
といった計画だったんです
新選組の局長である
近藤勇(こんどういさみ)が
池田屋の扉を開け
「御用改めでござる!」
と言い放つシーンは
時代劇でもお決まりですよね
※池田屋事件について詳しくは、木屋町界隈の史跡 その2の記事をご覧ください。
惣兵衛は新選組が来た事を
2階で会合をしていた志士達に
大声で知らせます。
「お2階の皆さん、御用改めで御座います!!!」
と、その直後、惣兵衛は
近藤に殴られ意識を失ってしまいました。
その後、意識が戻り
自分の妻子を連れて逃げたんですけれど
翌日には捕縛されてしまうんですね
捕縛された際
惣兵衛は拷問にかけられたそうなんですけれど
一切口を割らなかったと言われています。
そんな惣兵衛は
後に六角獄舎(ろっかくごくしゃ)の獄中で
病死したと伝わっています。
享年42歳でした
※六角牢こと六角獄舎については、日本近代医学発祥之地の記事をご覧ください。
遺体は家族の方によって
ここ浄円寺に葬られ
『照誉光善信士』という法名を授かったそうです。
※惣兵衛のお墓は、浄円寺以外に霊山護国神社にもあります。
ちなみに池田屋はその後どうなったのかと言いますと
家具などを没収されただけでなく
7ヶ月の営業停止処分となり
廃業となってしまったそうですよ。
そんな池田屋惣兵衛のお墓がある浄円寺の場所はコチラ↓
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