2014-09-08 | |
テーマ:お寺 |
水薬師寺
今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
水薬師寺(みずやくしじ)です!
こちらの水薬師寺なんですけれど
実は、七条幼稚園を経営されているようで
お寺の入り口も幼稚園の入り口になっているんですね
本当にここから入れるのかな~?と思いながら
入り口まで行くと
インターフォンの所に
「朱印帳のご入用の方は門をあけてどうぞ中へお入りください」
と書かれていたので
安心して中に入らせてもらいましたよ~
ちなみに水薬師寺は
京都十二薬師霊場の第3番に
数えられているんです
十二薬師霊場会とは
平安時代から続く京の町の風習で
信仰を集めた12ヶ所の霊場を
薬師如来に無病息災・病気平癒などを
祈願して順番に巡るというものなんですね。
京都十二薬師霊場は以下の通りです。
第1番 平等寺(びょうどうじ)・因幡薬師
第2番 東寺(とうじ)・金剛薬師
第3番 水薬師寺(みずやくしじ)・水薬師
第4番 壬生寺(みぶでら)・歯薬師
第5番 地福寺(ちふくじ)・日限薬師
第6番 福勝寺(ふくしょうじ)・峰薬師
第7番 雙林寺(そうりんじ)・東山薬師
第8番 大超寺(だいちょうじ)・鍬形薬師
第9番 薬師院(やくしいん)・不来乎薬師
第10番 大福寺(だいふくじ)・菩提薬師
第11番 西光寺(さいこうじ)・寅薬師
第12番 永福寺(えいふくじ)・蛸薬師
となっています。
そんな水薬師は
もともと真言宗東寺派に属していたそうですけれど 今は真言宗の単立寺院となっています。
建立のきっかけは902年(延喜2年)
この場所にあった大きな池の中から
薬師如来の霊像が現れたそうで
これを醍醐天皇(だいごてんのう・第60代天皇)が
篤く崇敬した事からと言われています。
醍醐天皇は
理源大師(りげんだいし)聖宝(しょうぼう)に
命じて堂宇(どうう・お堂)を建立させ
この時の薬師如来をご本尊として安置
塩通山医王院水薬師寺の勅号を
下賜したんだそうですよ
という事で
水薬師寺の山号は塩通山
院号を医王院と言うんですね
その後お寺は鎌倉時代の末期に
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)による
鎌倉幕府倒幕の企てである
1331年の元弘の乱(げんこうのらん、または元弘の変)の戦火によって
焼失してしまったんだそうです
それから江戸時代に入り
板倉周防守によって復興され
江戸時代には尼寺となったみたいですよ。
前置きが長くなりましたけれど
中に入っていきましょう!
扉をあけて入ると
まるで幼稚園の中にお寺があるような感じでした
こちらが本堂です。
本堂には大池から現れたとされる
ご本尊・薬師如来が安置されているそうです。
薬師如来は
毎年1月8日の初薬師の日だけ
ご開帳となるそうですよ
本堂にかかっていた額です!
ちなみに水薬師寺にかつてあった
岩井の清泉は
平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が
熱病にかかった際に
水浴びをしたという話が伝わっています
清盛の熱病が治まった事から
岩井の清泉は清盛井とも
呼ばれたんだそうですよ♪
その後、清盛は
安芸(あき・現在の広島県)の宮島から
弁財天を勧請して
弁天堂を建立したとも伝わっているそうですけれど
現在は残念ながら弁天堂はありませんでした。
※平清盛について詳しくは、平清盛ゆかりの地巡りをご覧ください。
ちなみに奈良県の東大寺
二月堂(にがつどう)で行われるお水取りでは
神水を二月堂の若狭井から汲み上げるのですけれど
その水源は福井県の若狭鵜の瀬(うのせ)という所らしく
水は、ここ水薬師寺の地下を通り
二月堂に辿りつくという伝承があるそうです
※余談なんですけれど鵜の瀬は名水百選に選ばれている場所で、毎年3月2日には二月堂へお香水(おこうずい)を送る送水神事が行われているそうですよ。
こちらは本堂の前に安置されていた
石像なんですけれど
びんずるさんに似ていると思いませんか
ちょっとわからなかったんですけれど
もしご存知の方がいらっしゃったら
コメントで教えて下さいね♪
本堂前には、小さなお堂もありました。
ちなみに水薬師寺は
2月の第2日曜に
護摩供養をされているそうですから
気になった方は訪れてみてはいかがでしょうか。
そんな水薬師寺の場所はコチラ↓
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