2011-05-24 | |
テーマ:お寺 |
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壬生寺 その2
こんにちは京子です
さて、本日ご紹介するお寺は…
壬生寺(みぶでら)です。
この壬生寺にゆかりのあるものというのは
壬生狂言と新撰組なんです
以前は、新選組リアンとのミスマッチがおこりそうでしたけれど
今回は・・・何も無かったです
でも、撮影した日が快晴だったのでとても綺麗な写真を撮ることが出来ましたよ~
早速入っていきましょう♪
石碑です。
さて、この壬生寺なんですけれど
新撰組が縁なのは知っているけれど、壬生狂言とはどういう関係があるの京子ちゃん
という疑問が沸いちゃいますよね♪
そんな疑問を解消してくれるのが「円覚上人(えんがくしょうにん)」という高僧なんです。
この円覚上人は、当時絶大な人気を誇りその教えを聴きたいという大衆が
数十万人にも及んだことから「十万上人」と言われたほどの人気があったそうなんです。
そんな人気のある円覚上人が、壬生寺で仏の教えを説いた方法が
壬生狂言の始まりと言われているみたいですよ。
一夜天神堂
「一夜にして知恵を授かる」として学業上達のご利益があるみたいです。
知恵と言えば、やっぱり道真公ですよね。
この一夜天神堂の建立の由来も、託願上人の夢枕に道真が立ち
親戚がいた壬生の地に自分を祀るように告げたんだそうですよ。
では、そんな円覚上人が用いた方法というのは・・・
無言劇なんです。
無言劇というと難しいイメージをするかも知れませんけれど、
現代で言うとパントマイムですよね♪
つまり、台詞ではなく身振り手振りといった身体を使って表現する方法なんです。
仏の教えを説く立場の人が、台詞を使わないって凄い発想ですよね
以前ご紹介した、踊り念仏なみにビックリですよね。
ちなみに、壬生狂言は「壬生大念佛狂言」と言い
「壬生のカンデンデン」といって地域の人からは親しまれているみたいです。
また、1976年には重要無形民族文化財に指定されたんだそうです。
夜啼き地蔵
おせき地蔵とも呼ばれ、病気平癒や乳児の夜泣きどめにご利益があるようです。
本堂です。
以前の記事でもお伝えしましたけれど、旧本堂はもう焼けちゃったみたいです。
そして、右手に曲がると
皆さんお待ちかね
新撰組局長・近藤勇の胸像です。
今にも動き出しそうな近藤さんのお写真が取れました♪
近藤さんの他にも
同じく筆頭局長の芹沢鴨や隊士・平山五郎のお墓などがありました。
そもそも何故、新撰組が壬生寺と関係があるのかと言いますと
壬生寺境内が、かつては新撰組の訓練場だったことに由来します。
皆さんご存知、新撰組の駐屯地は壬生にありましたよね
以前、京子記事でもご紹介した八木邸の他に
前川邸、南部邸の3箇所が定められていました。
八木邸と前川邸は現存していますが、場所は壬生寺のご近所だったのです。
それ故に、沢山の面白い逸話が残ってたりします♪
阿弥陀堂
千体仏塔
明治時代の都市計画の際に、京都市内各地から集められたものなんだそうです。
例えば、あの新撰組の中でも1、2を争う剣の使い手として有名な
一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだりと
壬生寺で相撲が行われたときは、力士に料理を振舞ったりといった
話が今でも語り継がれているみたいです。
中院
かつて、壬生寺には十一の塔頭があったみたいですけれど、
今に残るはこの中院のみなんですって。
そんな面白い逸話の残る新撰組ですが、
そもそも新撰組とは
武州多摩の浪士を中心とした歴史上最大の剣客集団なんです。
平時は、伏見や木屋町界隈をパトロールし
その他の区域は、京都見廻組が担当していたんですね
荒くれ者のイメージがある新撰組ですが、
治安維持組織として活動していたんです。
そんな、新撰組の名を広めることになったのが
京の町を大火から救った池田屋事件ですよね。
弁天堂
蓄財や子孫繁栄にご利益があるようです。
「長州藩を中心とする攘夷派が、風の強い日を選んで御所に火を放ち、佐幕派大名らを殺害して天皇を拉致し長州に連れて行く計画がある・・」
これを知った新撰組は、無事計画を阻止することに成功をし
京をテロリストから救ったヒーローとして時の人となりました
水掛地蔵
水を掛けて祈ると、一つ願いがかなうんだそうです。
さて、この後、新撰組はどうなったのかと言いますと
鳥羽・伏見の戦いを発端とする戊辰戦争で幕府側として北へ北へと転戦していくんですよね
その戦いの最中、近藤局長は斬首され
一番隊組長沖田総司は病で倒れ、亡くなってしまいます
そして、新撰組を作った張本人とも言える土方歳三も
もはや剣の時代では無いと悟り、和装から洋装に、刀から銃へと
戦の仕方を近代的に変えはしますけれど、
最終的には北海道の地で亡くなります。
新撰組の最後はどのようなものかと言いますと
私個人としては土方歳三が亡くなったその瞬間ではないかな?と思います。
皆さんはどうでしょうか
そんな新撰組がゆかりで、壬生狂言の発祥の場となった壬生寺の場所はコチラです。
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