メモ2014-08-07
テーマ:お寺

大蓮寺

今回ご紹介するのは

京都市左京区の東山二条にある

大蓮寺

大蓮寺(だいれんじ)です!


大蓮寺は浄土宗知恩院派のお寺で

洛陽三十三所観音霊場の第8番札所でもあるんですね。

※洛陽三十三所観音霊場は、遠くて巡礼が困難な西国三十三所の代わりとなるよう後白河天皇が提案したそうですよ♪


引接山 大蓮寺

山号は引接山(いんじょうざん)です。


創建は1600年と伝わり

深誉上人(しんよしょうにん)が

西洞院(にしのとういん)五条の毘沙門町に

建立したのが始まりと言われています。

その後、現在地に移ったんですね。


では早速、レポートしていきましょう


まず、こちらの山門には

狛犬の彫り物

狛犬の彫り物があって

蓮を咥えた狛犬

真ん中の狛犬は蓮を咥えていました


実はここ大蓮寺は

名前からも想像できるように

蓮がたくさん見れる場所でもあるんですね~♪


たくさんの蓮

ピークは7月の半ばのようですけれど

まだまだ境内にはたくさんの

遅咲きの蓮が見れましたよ。


こちらが本堂です。

本堂

本堂にはご本尊である

阿弥陀如来像が安置されています


実はご本尊の阿弥陀如来像は

もともと真如堂(しんにょどう)に

あったものなんだそうです。


え?どういう事

と思っちゃいますよね。

詳しくご説明しますと・・・


真如堂には

平安時代に活躍した僧

慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)の作と伝えられる

阿弥陀如来像が安置されていました。


真如堂の本堂

真如堂。正式名称は真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と言います。


この阿弥陀如来像は

『うなずきの阿弥陀』と呼ばれるもので

作者である円仁が

「修行者のための本尊となって下さい」

眉の間に白毫(びゃくごう)を入れようとすると

阿弥陀如来像が頭を横に振ったんだそうです

※白毫とは、眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛の事。一見ホクロのように見えるあれですよ~


円仁が驚いた事は

言うまでも無いと思いますけれど、その後

「それでは山を下りて、全ての人々の救済をして下さい。特に、女性をお守り下さい」

円仁が言うと・・・

頷いたと、言われているんですね。

この事から『うなずきの阿弥陀』というわけなんです


そして真如堂に安置されると

あっと言う間に女性からの信仰を集めたそうですよ~♪


そんな阿弥陀如来像は

1467年から始まった

応仁の乱(おうにんのらん)によって

真如堂が荒廃してしまい

行方不明になったと言われています。

※応仁の乱について詳しくは、銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧ください。


それから100年ちょっとの月日が流れ

深誉上人が伏見の町を歩いていると・・・

光輝く阿弥陀如来像を発見します


見たところその阿弥陀如来像は

誰にも守られていないみたいで

その事に心を痛めた深誉上人は

大蓮寺を建てて

大切に安置したんですね~。


もうお気付きの方もいらっしゃるかも知れませんけれど

そうなんです


この時安置した阿弥陀如来像こそ

かつて真如堂に安置されていた

『うなずきの阿弥陀』と呼ばれる

阿弥陀如来像だったんですよ


真如堂は元禄年間(1688年~1704年)に

復興を果たすと、ご本尊である阿弥陀如来像を探し始めます。


そして大蓮寺の阿弥陀如来像が

真如堂の阿弥陀如来像であるという事が分かると

江戸幕府を通じて

阿弥陀如来像を返還するよう

大蓮寺に言うんですね


この時、深誉上人はどんな気持ちだったんでしょうね。

かつての場所に阿弥陀如来像が戻れる事で

安心した気持ちもあったでしょうし

自分が守ってきたので寂しい気持ちもあったのでは

ないかと思います。


その後、深誉上人は21日間

念仏を唱え続けたと言われています


すると、21日目の朝に不思議なことが起こります。


なんと阿弥陀如来像が

2体に分かれていたんです


その事を真如堂へ伝えると

それぞれのお寺が1体ずつ

安置するという事で話はまとまって

現在に至るというわけなんですよ♪


こちらは本堂の前に建てられている石碑で

あんざん弥陀如来と彫られた石碑

あんざん弥陀如来と彫られています。


安置されている阿弥陀如来像は

安産の苦しみから救ってくれると信じられていて

大蓮寺は安産の寺とも言われています

※ホームページのドメインも『www.anzan-no-tera.jp』なんですよ。


絵馬

絵馬にも安産祈願の寺と書かれています。


その他、本堂には

祇園社感神院(かんじんいん・八坂神社の前身)の観慶寺(かんぎょうじ)のものだった

祇園社本地仏(ほんじぶつ)薬師如来

洛陽八番十一面観音菩薩

洛陽十二社中の夜叉神明王(やしゃじんみょうおう)

などの仏像が安置されています


八坂神社

八坂神社


これは明治時代初めの

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって

祇園社感神院の観慶寺が廃寺になった際に

全ての仏像を引き取ったからなんだそうです。

※廃仏毀釈について詳しくは、泉涌寺 その1の記事をご覧ください。


深誉上人は観慶寺の勧進をした事もあって

その縁によって引き取られたみたいです


ちなみに毎年1月1日から5日まで

祇園社十二神将は公開されているそうですよ。


こちらは本堂前の無造作に置かれていたんですけれど

法勝寺の遺構

平安時代に白河法皇によって建てられた

六勝寺(ろくしょうじ)の1つ

法勝寺(ほっしょうじ)の遺構で

礎石なんだそうです

※法勝寺には、高さ約80メートルの八角九重塔があったと言われています。


また大正時代の大蓮寺にいた僧

籏玄教(はたげんきょう)の絵もありました。


籏玄教の絵

玄教は、寺を訪れる事が出来なかった

妊婦の為に安産のお札を届けに

京都中を走って宅配していたと言われています。

そんな事から『走り坊主』と

呼ばれていたそうですよ


お寺にはそんな籏玄教を描いた

足腰健常のお守り

足腰健常のお守りもありましたよ♪


そんな大蓮寺の場所はコチラ↓


より大きな地図で 大蓮寺 を表示

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