今回ご紹介するのは

千喜万悦天満宮

千喜万悦天満宮(せんきまんえつてんまんぐう)です!!


この千喜万悦天満宮は

西念寺(さいねんじ)というお寺の境内にあるんですね~


場所はと言いますと・・・

下京区の五条通の通り沿い

高倉通との交差点辺りにあります。


ちなみにこの西念寺は

もともと六条河原院跡に

創建されたと言われています


その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代に

現在地に移され、さらに戦時中

五条通りの拡張で境内の多くを失ったそうですよ。

※六条河原院跡は、源氏物語の主人公『光源氏』のモデルの1人とされる源融(みなもとのとおる)の邸宅跡の事です。


さて、この千喜万悦天満宮の

千喜万悦天満宮と書かれた額

千喜万悦という字を見てみると

千の喜びと万の悦びと書かれているので

なんだかおめでたい感じがしますよね!?


実はこの名前には

ある話が伝わっていまして

その話の主人公は菅原道真(すがわらのみちざね)なんです!


菅原道真と言えば

学問に秀でた人として

知られていますよね


試験の前に近くの天満宮に

参拝しに出かけた人も多いと思います♪


彼は平安時代に活躍した人物で

学者の最高位である

文章博士(もんじょうはかせ)という

中国の歴史や漢文を教える先生も努めていた人なんですよ!


そんな彼が899年(昌泰2年)の2月14日

右大臣に任命されます!

これは菅家(かんけ)では初の事でした


その後、道真は公達(きんだち)らとともに

列座(れつざ・並んで座る事)することも許されたと伝わっているそうです。

※公達とは、公卿になる上流貴族の家系出身者らの事です。


その際に菅原道真は喜びのあまり

「何か形として残そう!!こんな嬉しいことは無い!!」

との事で、この神社と列座の様子を絵に描かせたと言われているんですね。


つまり千喜万悦という言葉は

道真のこの上無い喜びを表したものだったというわけなんですよ~♪


絵にしちゃうなんて

よっぽど嬉しかったんでしょうね

※菅原道真について詳しくは菅大臣神社 その1をご覧下さい。


今の時代だと

ツイッター等で

つぶやいたり写真を載せたりする

感覚に近いかも知れませんね


そんな事から千喜万悦天満宮では


本殿

本殿


天神像の御神体とともに

道真が描かせた『菅家繁盛の図』が祀られているそうです。


本殿内部

ちなみに千喜万悦天満宮は

江戸時代の洛陽天神二十五社の1つ

西念寺天神(さいねんじてんじん)として

数えられているんですよ

※洛陽天神二十五社とは、京都市内で道真にゆかりのある25社を順番に参拝する風習の事。時代によって順番や場所が違ったりします。詳しくは匂天神社の記事をご覧下さい。


こちらは臥牛(がぎゅう)です!

臥牛

天満宮では牛は神様のお使い(神使)とされていて

それは道真の干支が丑年だった為や

牛が刺客から道真を守った

道真のお墓の場所を太宰府天満宮と決めたのが牛だった

など数々の諸説があるようです


こちらは歌碑です。

「来迎や どこともなしに 梅かおる」

歌碑

と書かれてしました。


ちなみに道真は生前

梅を愛した人物としても知られていて

大宰府に左遷された時は邸宅に咲いていた梅が

彼を追いかけて一夜で飛んでいったと言われているんですよ

※この『飛梅(とびうめ)』のエピソードについて詳しくは、菅大臣神社 その2の記事をご覧下さい。


そんな千喜万悦天満宮の場所はコチラ↓


大きな地図で見る
タイトル
コメント
※必須項目です。
コメントに関する注意点
※個人や特定の団体に対する誹謗中傷は、削除させていただく場合がございます。ご了承下さい。
※記事と関係の無いコメントに関しても削除する場合があります。
※投稿後は編集や削除ができません。

画像認証
※必須項目です。

※上の画像で表示されている文字を入力してください。

ニックネーム
ブログURL
※ブログをお持ちの方はURLをどうぞ。
※不適切なリンクは削除される場合があります。

イベントカレンダー

祇園祭のイベント一覧

京都検定過去問

萩の名所巡り

京の茅の輪巡り

半夏生の名所巡り

一初の名所巡り

山吹の名所巡り

椿の名所巡り

桜の名所巡り

梅の名所巡り

雑談掲示板 新着

    最新コメント

    公式ツイッター

    マスコットキャラ:京子ちゃん
     マスコットキャラ:京子ちゃん
    更新情報を中心に、毎日つぶやきます!是非フォローして下さい。

    お問い合わせ窓口