2014-05-30 | |
テーマ:神社 |
金攫八幡宮
今回ご紹介するのは
京都の衣笠(きぬがさ・京都市北区)にある
金攫八幡宮です!
※近くには平野神社(ひらのじんじゃ)やわら天神があります。
あれ?読み方は~と
いつも記事を読んで頂いている方は
思うかも知れませんけれど
ここでクエスチョン
さて『金攫』という字は
一体、何と読むでしょうか♪
答えは・・・
金を攫(さら)うと書いて
金攫(きんかく)と読むんですよ~!
私も最初は読めませんでした
改めて言い直しますと♪
今回ご紹介するのは
金攫八幡宮(きんかくはちまんぐう)です!
参拝してお願い事をしたら
もしかしたらお金持ちになるかもしれない
そんな名前の神社ですよね
金攫八幡宮は
江戸時代の1685年(貞享2年)に
京都府八幡市(やわたし・京都市の南西)にある
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から
この場所である衣笠村(きぬがさむら)の
小北山(おだたやま)に勧請したと言われています。
※現在、平野桜木町(ひらのさくらぎちょう)と名称が変わっています。
創建当初はそんな理由から
小北山八幡宮(おだたやまはちまんぐう)と
呼ばれていたそうですよ。
また地元の方からは、小北山の産土神として
崇敬も篤かったそうなんですね
ちなみに八幡宮と言えば・・・
ご祭神はもちろん応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇)ですよね
応神天皇は
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
大鞆和気命(おおともわけのみこと)
胎中天皇(たいちゅうてんのう)
といった別名があり、八幡神として崇敬されています。
ちなみに母親の『神功皇后(じんぐうこうごう)』と
父親の『仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)』の3柱で
八幡三神と呼ばれているんですね~
※神功皇后は日本書紀に三韓征伐を行い、新羅・高句麗・百済を攻め立て降伏させたと記されています。三韓征伐の際には、お腹に子供(のちの応神天皇)を宿しながら戦ったそうですよ。
そして八幡神を祀る神社は
全国でなんと!4万以上もあるんです!
すごい数ですよね~
御神徳には国家鎮護、殖産興業、
勝運招来、延命長寿といったものがあるんですよ♪
では早速レポートしてみましょう。
まずこちらが鳥居になるんですけれど
西大路通り(南北に走る幹線道路)に面したところにも
入り口がありました。
そちらに、金攫八幡宮の石碑があるんですよ
本殿です。
本殿は1967年(昭和42年)の秋に
桧皮葺屋根(ひわだぶきやね)から銅葺屋根(どうぶきやね)に
改修されたそうです。
八幡さんの神使である
鳩が描かれた提灯もありましたよ
なぜ八幡宮と鳩が関係あるのかと言いますと
宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から岩清水八幡宮へ
八幡神を勧請した際に
白い鳩が道案内をしたことから
八幡宮の『鳩』は『神様の使い』として
大切にされているんですね
本殿の右手側には
お稲荷さんがありました♪
そして金攫八幡宮の東側には
大きなクロガネモチの木があるんですね~
こちらのクロガネモチの木なんですけれど
『黄金(こがね)モチの木』なんて呼ばれているそうですよ
金攫という名前といい
こちらの黄金モチの木といい
やっぱりお金持ちになれるかも知れません
ちなみに、この黄金モチの木は
秋になると小さな赤い実をたくさんつけるようなので
また秋になったら訪れてみようと思います♪
その頃にはコガネモチになってたりして
そんな金攫八幡宮の場所はコチラ↓
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