2014-03-26 | |
テーマ:神社 |
尚徳諏訪神社
今回ご紹介するのは
尚徳諏訪神社(しょうとくすわじんじゃ)です!
もともとは、下諏訪神社と
称していたそうですけれど
尚徳という学区名から
尚徳諏訪神社と改めたそうですよ。
場所は京都市の下京区
東本願寺を少し北へ行った
下諏訪町(しもすわんちょう)にあります
諏訪神社は
全国に約2万5000社もあり
長野県の諏訪湖近くにある
諏訪大社が総本社なんです
ご祭神は
諏訪大明神(すわだいみょうじん)
建御名方神(たけみなかたのかみ)
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
です。
この3柱は
出雲の国譲りで有名な
大国主命(おおくにぬしのみこと)の
兄弟の神様たちなんですよ
※大国主命について詳しくは、地主神社の記事をご覧ください。
尚徳諏訪神社の創建は
797年とかなり古く
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が
創建したといわれています
坂上田村麻呂は
平安時代初期、桓武天皇より
征夷大将軍の位をもらい、
蝦夷平定をした武将ですよね。
※蝦夷というのは東北や北海道にいた朝廷に従わない先住民の事です。
ちなみに征夷大将軍とは
征夷という言葉からもわかりますように
蝦夷を征圧・征服するための役職だったんですよ。
そんな坂上田村麻呂は
以前から、諏訪大明神を信仰していたようで
蝦夷討伐に行くときも
長野の諏訪神社に戦勝祈願してから出かけたそうです
やがて、蝦夷を平定し
京都に帰ってくると
諏訪大明神に感謝の意味も込めて
京都に諏訪大明神を勧請して
こちらの諏訪神社を建てたようですよ
※その辺りの事について詳しくは清水寺の記事をご覧下さい。
その後、諏訪神社は
次第に衰退していきますが
源義経や足利義満、徳川幕府らによって
復興されたようです。
しかし、1864年の蛤御門(はまぐりごもん)の変で
社殿のほとんどが消失しちゃうんですね
その際、時の天皇陛下である
孝明天皇(こうめいてんのう・第121代天皇)が再建の為に
金百五十両と菊の紋入り提灯を
下賜(かし)され1866年に
無事、再興を果たしたそうです。
坂上田村麻呂も
あの世からホッと
胸をなでおろしていたと思います♪
鳥居をくぐると
目の前に拝殿が見えます。
境内はかなりこじんまりとした感じで
鳥居をくぐれば、全てを見渡せましたよ
こちらは弁財天です。
ちなみに尚徳諏訪神社では
その昔『鹿食箸(かじきばし)』と呼ばれる
お箸が売られていたそうです。
※鹿食免(かじきめん)とも言うみたいです。
その名の通り
鹿を食べる箸なんですけれど
当時の人にとって鹿食箸は
普通のお箸と違って
特別な役割があったんですね。
それは
4本足の獣肉が食べられる
という、お箸だったんですよ。
当時の日本では
4本足の獣肉を食べると
穢れると信じられていました。
でも、穢れずに食べる方法が
あったんですね~
それが諏訪神社で鹿食箸と呼ばれる
箸を買ってきて、その箸で食べることだったんです
鹿食箸の入った御札には
諏訪の勘文(かんもん)というものが記されていて
「前世の因縁で宿業(しゅくごう)の尽きた生物は
放ってやっても長くは生きられない定めにある
従って、人間の身に入って死んでこそ
人と同化して成仏することができる」
と書かれています。
※宿業とは、前世に行った善悪の行為のことです。
つまり食べてあげる事こそが
供養になるというわけなんですね~
実際に箸は江戸の中頃までは売られていたそうです。
諏訪大社本宮では現在も
鹿食箸が売られているそうですから
気になった方は訪れてみてはいかがでしょうか
そんな尚徳諏訪神社の場所はコチラ↓
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