2013-11-03 | |
テーマ:祭り・イベント |
関連:朝代神社 / |
秋季例大祭(朝代神社)
今回ご紹介する祭は
京都府舞鶴市(まいづるし・京都府北部)にある
朝代神社(あさしろじんじゃ)で行われた・・・
秋季例大祭です
今回の秋季例大祭は神輿の渡御に加えて
4年に一度しか行われない『吉原の太刀振(よしわらのたちふり)』が奉納されるんですね!
※この太刀振は京都府登録無形民俗文化財にも指定されています。
地元の若者たちによる
見事な太刀振を、今回はたっぷりご紹介したいと思います!
ちなみに『吉原』とは、舞鶴湾に面する地区の1つで
昔から漁業が盛んな町として知られています
※現在も漁師の方を中心に、海産物の加工業者などが軒を連ねているんですよ。
今回『秋季例大祭』が行われる朝代神社に関しても
簡単に説明しますと
672年に創建された神社で、祭神には国生みの神で知られる
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が祀られています。
※江戸時代には、辺り一帯の産土神として崇められていたそうです。
では、そんな朝代神社で行われる秋季例大祭を
早速レポートしたいと思います
7時より、まずは本殿前にて神事が行われます。
ここでは神職の方をはじめ
太刀振を奉納する祭子らが一同に集い行われます。
※太刀振を演じるのは、小学生から20歳までの地元の人達なんですね。
ここでは神職による
お祓いや祝詞(のりと・宣言)が奏上されます。
そして!この後、場所を鳥居前に移し
吉原の太刀振が奉納されるんですよ~
4年に一度ですからプレミアム感がありますよねっ。
さて、この太刀振は江戸時代から続く
吉原の伝統芸能なんですよ。
これが誕生したきっかけは・・・『ある戦』だったのです。
時は戦国時代、豊臣秀吉が亡くなり
豊臣政権から徳川政権へと移り変わる動乱期を迎えていました。
そんな中、起こったのが関ヶ原の前哨戦とも言える
『田辺城の戦い(1600年)』です
朝代神社からもほど近い(徒歩10分)場所に立つ田辺城にて戦が起こったのでした。
これは、石田三成方15000人の軍勢が、田辺城主である
細川幽斎(ほそかわゆうさい)を攻め立てたんですね。
これは、細川幽斎の息子の『忠興(ただおき)』が城を留守にしていたところを
狙った奇襲攻撃であり、田辺城の兵力はわずかに500人程だったそうです。
※この頃、石田三成は、上杉影勝(うえすぎかげかつ)討伐の為に手薄になった家康側の勢力を、一気に制圧していました。田辺城以外にも、伏見城にも攻め入ったりしているんですよ。詳しくは源光庵 その2の記事をごらん下さい。
ちなみに、この時の石田三成方の総大将は
福知山城主の小野木縫殿介(おのぎ ぬいどのすけ)という人物です。
とにかく篭城して小野木軍勢と交戦する事となりましたが
この時、細川家に協力したのが・・・
吉原の人達だったんですね!!!!!
敵が城に進入しないように見張ったり、城内に食事を運んだりと
子供や女性も含め、全員でお城を守ったのです。
一時は落城寸前まで追い込まれたそうですが
およそ2ヶ月間もの間、篭城に成功。
結果的に、幽斎を歌道の師として仰ぐ皇族の人達による協力もあり
後陽成天皇が勅使(天皇の使い)を差し向けた事をきっかけに開城し
田辺城を小野木縫殿介(石田三成方)に明け渡したのです。
しかし、わずか500人の兵力にこれだけの時間をかけてしまった事から
小野木縫殿介らは、その2日後の関ヶ原の戦いに、間に合わなかったそうです
この後は、皆さんもご存知の通り
徳川軍(東軍)が勝利し、田辺城も無事奪還したんですね。
その後、吉原の人達は、この戦いぶりを後世に伝えようと作ったのが、この『吉原の太刀振』だったんですね!!
では早速、その見事な太刀裁きをご覧いただきましょう~
・露払い
まずは場を祓い清める為に、露払いの演舞を行います。
・大薙刀(おおなぎなた)
田辺城の戦いでは女性も参加していたと言いましたが
薙刀は主に女性が武器として使用していたそうです。
・小薙刀(こなぎなた)
こちらは、一回り小さい小薙刀です。
・小太刀(こだち)
10歳前後の子供たちが戦いに参加していた際に
持っていたと伝えられています。
・野太刀(のだち)
こちらは、もう少し上の子供たちが使っていた武器のようですね。
・間抜け(まぬけ)
現場の解説の方のお話によると、当時は刀に勝るほどの
棒の使い手もいたそうです。
これを再現するかのような見事な棒さばきです。
・関棒(せきぼう)
こちらは、刀と棒の一騎打ちです。武器がそれぞれ違うのが、なんだか新鮮ですよね。
『前の関棒(さきのせきぼう)』『後の関棒(あとのせきぼう)』と2度続けて行われます。
ここまでを、まとめてどうぞっ!
このように二人一組となって演舞を披露していました。
全部で約30分ほどでしたよ~。
この太刀振の奉納が終わると
北東に約2キロの位置にある『水無月神社』へ向かいます
太刀振を先頭にして、その後、神輿が続きます。
この朝代神社の神輿は、巡行中
差し上げ(高く掲げて激しく揺らす)などは一切無く
担ぎ手の方の服装も、はっぴ姿ではありませんでした。
水無月神社です。
こちらは水無月神社に到着した太鼓屋台です。
こうして10時前に水無月神社に到着すると
神輿を前に神事が行われ、祝詞が奏上されます。
そして、次に『吉原の太刀振』が誕生するきっかけとなった
田辺城跡(舞鶴公園)へ向かいます
やっぱり、太刀振するならココですよねっ。
ちょうど城門には、100人以上のギャラリーが
集まっていましたよ~。
12時過ぎより神事が行われ、その後
朝代神社で行われたものと同様の『太刀振』が奉納されます!!
露払い
大薙刀
小薙刀
小太刀
野太刀
間抜け
関棒
お囃子に合わせた、軽快な太刀さばきに
観客の人達からも惜しみない拍手が送られていましたよっ。
そして、子供たちの元気で勇ましい声が
響き渡っていましたね~。
さて、この後
神輿と太刀振は、それぞれ別行動を行うそうで
神輿の方は氏子町を周り
15時頃、朝代神社に帰っていくそうです。
そして太刀振の方は、舞鶴小型運送社前や
吉原小学校で演舞を奉納し20時頃、解散するそうですよっ
という事で、今回は4年に一度の『吉原の太刀振』が奉納された
秋季例大祭をご紹介させていただきました!
場所はこちら↓
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