今回ご紹介する祭は

京都府舞鶴市(まいづるし・京都府北部)にある

朝代神社

朝代神社(あさしろじんじゃ)で行われた・・・

秋季例大祭です


今回の秋季例大祭は神輿の渡御に加えて

吉原の太刀振

4年に一度しか行われない『吉原の太刀振(よしわらのたちふり)』が奉納されるんですね!

※この太刀振は京都府登録無形民俗文化財にも指定されています。


地元の若者たちによる

見事な太刀振を、今回はたっぷりご紹介したいと思います!


ちなみに『吉原』とは、舞鶴湾に面する地区の1つで

昔から漁業が盛んな町として知られています

※現在も漁師の方を中心に、海産物の加工業者などが軒を連ねているんですよ。


今回『秋季例大祭』が行われる朝代神社に関しても

簡単に説明しますと

672年に創建された神社で、祭神には国生みの神で知られる

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が祀られています。

※江戸時代には、辺り一帯の産土神として崇められていたそうです。


では、そんな朝代神社で行われる秋季例大祭を

早速レポートしたいと思います


お祓い

7時より、まずは本殿前にて神事が行われます。

ここでは神職の方をはじめ

太刀振を奉納する祭子らが一同に集い行われます。

※太刀振を演じるのは、小学生から20歳までの地元の人達なんですね。


ここでは神職による

お祓いや祝詞(のりと・宣言)が奏上されます。


そして!この後、場所を鳥居前に移し

吉原の太刀振が奉納されるんですよ~

4年に一度ですからプレミアム感がありますよねっ。


さて、この太刀振は江戸時代から続く

吉原の伝統芸能なんですよ。

これが誕生したきっかけは・・・『ある戦』だったのです。


時は戦国時代、豊臣秀吉が亡くなり

豊臣政権から徳川政権へと移り変わる動乱期を迎えていました。


そんな中、起こったのが関ヶ原の前哨戦とも言える

『田辺城の戦い(1600年)』です

朝代神社からもほど近い(徒歩10分)場所に立つ田辺城にて戦が起こったのでした。


これは、石田三成方15000人の軍勢が、田辺城主である

細川幽斎(ほそかわゆうさい)を攻め立てたんですね。

これは、細川幽斎の息子の『忠興(ただおき)』が城を留守にしていたところを

狙った奇襲攻撃であり、田辺城の兵力はわずかに500人程だったそうです。

※この頃、石田三成は、上杉影勝(うえすぎかげかつ)討伐の為に手薄になった家康側の勢力を、一気に制圧していました。田辺城以外にも、伏見城にも攻め入ったりしているんですよ。詳しくは源光庵 その2の記事をごらん下さい。


ちなみに、この時の石田三成方の総大将は

福知山城主の小野木縫殿介(おのぎ ぬいどのすけ)という人物です。


とにかく篭城して小野木軍勢と交戦する事となりましたが

この時、細川家に協力したのが・・・

吉原の人達だったんですね!!!!!


敵が城に進入しないように見張ったり、城内に食事を運んだりと

子供や女性も含め、全員でお城を守ったのです。

一時は落城寸前まで追い込まれたそうですが

およそ2ヶ月間もの間、篭城に成功。


結果的に、幽斎を歌道の師として仰ぐ皇族の人達による協力もあり

後陽成天皇が勅使(天皇の使い)を差し向けた事をきっかけに開城し

田辺城を小野木縫殿介(石田三成方)に明け渡したのです。


しかし、わずか500人の兵力にこれだけの時間をかけてしまった事から

小野木縫殿介らは、その2日後の関ヶ原の戦いに、間に合わなかったそうです

この後は、皆さんもご存知の通り

徳川軍(東軍)が勝利し、田辺城も無事奪還したんですね。


その後、吉原の人達は、この戦いぶりを後世に伝えようと作ったのが、この『吉原の太刀振』だったんですね!!


では早速、その見事な太刀裁きをご覧いただきましょう~


露払い

・露払い

まずは場を祓い清める為に、露払いの演舞を行います。


大薙刀

・大薙刀(おおなぎなた)

田辺城の戦いでは女性も参加していたと言いましたが

薙刀は主に女性が武器として使用していたそうです。


小薙刀

・小薙刀(こなぎなた)

こちらは、一回り小さい小薙刀です。


小太刀

・小太刀(こだち)

10歳前後の子供たちが戦いに参加していた際に

持っていたと伝えられています。


野太刀

・野太刀(のだち)

こちらは、もう少し上の子供たちが使っていた武器のようですね。


間抜け

・間抜け(まぬけ)

現場の解説の方のお話によると、当時は刀に勝るほどの

棒の使い手もいたそうです。

これを再現するかのような見事な棒さばきです。


関棒

・関棒(せきぼう)

こちらは、刀と棒の一騎打ちです。武器がそれぞれ違うのが、なんだか新鮮ですよね。

『前の関棒(さきのせきぼう)』『後の関棒(あとのせきぼう)』と2度続けて行われます。



ここまでを、まとめてどうぞっ!


このように二人一組となって演舞を披露していました。

全部で約30分ほどでしたよ~。


この太刀振の奉納が終わると

北東に約2キロの位置にある『水無月神社』へ向かいます


朝代神社を出る神輿

太刀振を先頭にして、その後、神輿が続きます。


この朝代神社の神輿は、巡行中

差し上げ(高く掲げて激しく揺らす)などは一切無く

担ぎ手の方の服装も、はっぴ姿ではありませんでした。


水無月神社

水無月神社です。


太鼓屋台

こちらは水無月神社に到着した太鼓屋台です。


神事

こうして10時前に水無月神社に到着すると

神輿を前に神事が行われ、祝詞が奏上されます。


そして、次に『吉原の太刀振』が誕生するきっかけとなった

田辺城跡(舞鶴公園)へ向かいます

やっぱり、太刀振するならココですよねっ。


ちょうど城門には、100人以上のギャラリーが

集まっていましたよ~。


神事

12時過ぎより神事が行われ、その後

朝代神社で行われたものと同様の『太刀振』が奉納されます!!


露払い

露払い


大薙刀

大薙刀


小薙刀

小薙刀


小太刀

小太刀


野太刀

野太刀


間抜け

間抜け


露払い

関棒


お囃子に合わせた、軽快な太刀さばきに

観客の人達からも惜しみない拍手が送られていましたよっ。



そして、子供たちの元気で勇ましい声が

響き渡っていましたね~。


さて、この後

神輿と太刀振は、それぞれ別行動を行うそうで

神輿の方は氏子町を周り

15時頃、朝代神社に帰っていくそうです。


そして太刀振の方は、舞鶴小型運送社前や

吉原小学校で演舞を奉納し20時頃、解散するそうですよっ


という事で、今回は4年に一度の『吉原の太刀振』が奉納された

秋季例大祭をご紹介させていただきました!

場所はこちら↓


より大きな地図で 秋季例大祭-朝代神社 を表示

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