2013-08-09 | |
テーマ:神社 |
六所神社(上花山旭山町)
今回ご紹介するのは
京都市山科区にある神社・・・
六所神社(ろくしょじんじゃ)です
まず最初にご説明しますと
山科区には2つの六所神社がありまして
今回ご紹介するのは
上花山旭山町(かみかざんあさひやまちょう)にある六所神社になります。
※もう一方の六所神社は北花山大峰町(きたかざんおおみねちょう)にあります。
ここは幕末~明治期にかけて官軍として
活躍した『山科郷士隊』のリーダー
比留田権藤太(ひるたごんのとうた)を輩出した比留田氏が建てた神社なんですねっ
創建は1543年、比留田氏によって
上花山村一帯の氏神社として創建されました
当時、この辺りは朝廷の所有地であり農作物を育てていたようで
比留田氏は、この領地を管理していたようです。
※もとは近江国(滋賀県)にいたとされ、文献によると室町時代に山科の地にやって来たと言われています。
長い参道を歩くと奥に拝殿が見えます。
さて、この六所神社という名前ですが
これは六柱の祭神を祀っている神社や
6つの神社が合併した時などに用いられる名前だそうで
全国的に同名の神社が多数あります
※京都も山科に2つ、この他に京都府相楽郡(そうらくぐん)にも同名の神社があります。
こちらが拝殿です。社殿は昭和に入ってから再建されたそうですよ。
拝所そして、本殿になります。
では、こちらの六所神社に祀られている
六柱をご紹介したいと思います
・稲荷大神(いなりおおかみ)
神話では宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)などの名前で登場する神様で『食物神』とされています。
全国の稲荷神社に祀られているのもこの神様なんですよ
・日吉大神(ひよしおおかみ)
平安京の鬼門を守る日吉大社の神様だと思われます。災難除けなどのご利益があります。日吉大社については猿ヶ辻(京都御所)の記事をご覧下さい。
・熊野大神(くまのおおかみ)
もともとは、熊野詣(くまのもうで)で有名な紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の神様です。熊野詣は平安時代に天皇家で流行った参拝なんですよ。詳しくは詳しくは京都3熊野の記事をご覧下さい。
・松尾大神(まつのおおおかみ)
松尾大社にも祀られている大山咋命(おおやまくいのかみ)の事です。大山に杭を打つという事から、山を支配する神様と言われています。
・客人大神(まろうどおおかみ)
具体的な神様の名前ではないようで、他の地よりやって来た(勧請された)神様の総称のようです。
・八幡大神(はちまんおおかみ)
源氏の氏神であり、応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇)の神霊とされています。詳しくは京の八幡宮巡りの記事をご覧下さい。
さて、冒頭でもお話した通り
天皇の領地を守ってきた比留田氏ですが
幕末期、日本は黒船来航をきっかけに
大きな転換期を迎えます。
15代将軍慶喜が大政奉還し
それまでの封建制度の仕組みから、新しい日本に変わろうとしていました。
そんな中、この山科では『山科郷士隊』が結成されたんですね。
ちなみに結成されたのは
徳川慶喜が大政奉還(政治運営を幕府から朝廷に返上)をした1867年です
結成のきっかけには
あの岩倉具視(いわくらともみ・幕末の公家で維新五傑の1人)が
関わっていたとも言われているんですよ~。
※岩倉具視については岩倉具視幽棲旧宅の記事をご覧下さい。
こちらは末社の祠になります。愛宕大神が祀られているそうです。
その中核にいたのが・・
比留田権藤太(ひるたごんのとうた)という人物です。
近江国(滋賀県)出身であった彼は
比留田家の養子となった後、山科(天皇の領地)の政務と取り仕切っていた
いわば・・・山科のリーダーというべき存在でした!
彼を中心に勤皇思想のもと『山科郷士隊』が結成され
御所の警護などを行なっていたようです
※隊員は160~180名ほどで、その多くが農業をしながら、刀も振っていたそうですよ
こうして結成された『山科郷士隊』は
鳥羽・伏見の戦い(1868年)では御所の警護を行い
その後、戊辰戦争(ぼしんせんそう)にも官軍として参加したんですね。
※鳥羽伏見の戦いについて詳しくは御香宮神社 その1の記事をご覧ください。
そして、この他にも
東京奠都(とうきょうてんと)により江戸が東京に改められ
天皇を中心に多くの公家らが、京都から東京に行幸を行なった際
警護を長州藩や土佐藩らと供に行なったと言われているんですよ~!
そんな比留田氏ゆかりの
六所神社の場所はコチラ↓
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