2013-05-15 | |
テーマ:祭り・イベント |
宮津祭(山王宮日吉神社)
今回ご紹介するのは、山王宮日吉神社で行なわれた・・・
宮津祭(みやづまつり)です!
江戸時代には既に行なわれていたと伝わる
『山王祭』を起源とする祭で
毎年5月13日~15日の3日間、開催されています
宮津は江戸時代、宮津城を中心とした
城下町として栄えていました。
年に1度の山王祭の日には
山王宮日吉神社の神様を神輿に乗せて
町に迎え入れ、武士や町民が一緒になって
宮津の平和を願ったと伝えられています
※現在の宮津祭は、山王祭の俗称として長らく用いられていました。しかし、昭和34年に和貴宮神社(わきのみやじんじゃ・同地区)の例祭の日が同日(5月15日)に行われるようになった為に、現在はこの2つを併せて『宮津祭』と呼ぶようになりました。
山王宮日吉神社についても簡単にご説明しますと
平安時代以前より続く、宮津最古の神社です。
※宮津という地名も『宮(神社)のある津(入り江)』という事から名付けられたそうですよ。
名前からも分かるように
比叡山(滋賀県)にあった日吉大社(ひよしたいしゃ)を勧請し
建てられた事が起源とされています。
※日吉大社について詳しくは新日吉神宮の記事をご覧ください。
という事で今回は
宮津祭の本祭(最終日)の模様をレポートしたいと思います!
まずは、8時50分に『手水の儀』を行い
神職や巫女、氏子関係者を含む参加者全員が
身体を清めます。
続いて、お祓いを行った後
本殿神事が始まります。
まずは、神前にお供え物を献上し
祝詞(のりと・宣言)を奏上します。
続いて、巫女による『浦安の舞(うらやすのまい)』が奉納されます
※浦安の舞とは1940年に作られた舞で、昭和天皇が国の平和を願って詠まれた歌に、振り付けを加えたものです。浦安の舞について詳しくは春季大祭 2012(吉祥院天満宮)の記事をご覧下さい。
2人の巫女が鈴を片手に、息を合わせるように
優雅に舞います。
続いて獅子舞を中心とした神楽
『太神楽(だいかぐら)』が奉納されます
※太神楽は伊勢神楽をルーツとする神楽で、江戸時代後期には獅子神楽以外にも、大道芸や曲芸を含む芸能的な一面を持つ神楽として発展しました。伊勢神楽については春祭り 2013(生身天満宮)の記事をご覧下さい。
この時、獅子と一緒に『猿』も出演していましたよっ。
これは山王宮日吉神社の神使が猿という事が関係しているそうです。
地元の方によると、普段であれば
『天狗』が獅子と一緒に神楽を行なうそうなんですが
8年に1度だけ、こうして天狗の代わりに
猿が登場すると説明されていました。
※8つの町によって、毎年交替で受け持っているようで、その中の1つが猿を演じてる事が理由のようです。
こうして一連の神事が終わると
皆さんは、直会(なおらい・神前に供えたお下がりを食べる事)を行ないます。
続いて10時半過ぎより、境内にある宮司宅前にて
『浮太鼓(うきだいこ)』が披露されます。
山王宮日吉神社の浮太鼓は
代々、漁師町(りょうしまち・氏子町の1つ)の方によって
受け継がれている伝統芸能の1つです。
※江戸時代中期より伝わる浮太鼓は、宮津市の指定無形文化財にも登録されています。
浮という文字は『浮かれる』から取られたと言われ
時折り、左右に飛び跳ね、両手を派手に動かしながら
軽快に叩きます。
賑やかなお囃子を奏でながら、境内にやって来た浮太鼓は
この宮司宅前にて
傘鉾の下で太鼓を打つ古来のスタイルを披露していました
5~6歳の小さな子供も、大人顔負けの撥裁きで
スゴいの一言ですっ。みっちり練習したんでしょうね。
※浮太鼓は獅子舞と供に、13日(初日)から連日、氏子地域を練り歩き、神楽や太鼓を披露しながら巡行の道をお祓いするそうです。
浮太鼓の披露が終わると
本殿に移動し、神輿に御霊(神様)を移します
こうして普段は本殿に祀られている神様を
神輿に移して、氏子地域を練り歩くんですね
宮司さんは「オォーオー」と声に出す
警蹕(けいひつ)を行ないながら
ご神体(神様の依り代)を神輿に移します。
※警蹕とは簡単に言うと、声を出して周囲の人に不敬(ふけい・無礼な事や不謹慎な事)をしないように警告する事です。詳しくは針供養 2013(衣縫神社)の記事をご覧下さい。
御霊を移す最中も、本殿横では
浮太鼓が終止、お囃子を行ない
神輿の担ぎ手(およそ70人)達は手拍子(柏手)で、神様を迎えます。
神輿の屋根には本庄家(松平家分家で宮津藩の藩主)の家紋が入っていました。本庄家は、徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の生母、桂昌院(けいしょういん)の弟・本庄宗資(ほんじょうむねすけ)を祖とする家系です。桂昌院は幼少期、父親が死去し本庄家の養女になったと言われています。
大きな手拍子が境内に鳴り響く中
無事に、神輿に神様が移ると・・
11時、いよいよ出発ですっ!!!!
神輿、浮太鼓、そして子供神輿という順で一行は出発します
こうして山王宮日吉神社の石階段を降りると
一直線に宮津湾の岸辺まで移動します。
ここで一旦、神輿を降ろし、ご祈祷などを行ってから
氏子町内を巡行していきます。
その後、神輿は氏子町を練り歩き
13時に波路公民館(はじこうみんかん・旧御旅所)に到着します。
ここでもご祈祷などを行うと、すぐに出発し
14時に宮津市役所に到着します!
大勢の氏子町や宮津の人達に出迎えられる中
ご祈祷を行い、続いて巫女による『浦安の舞』が再び奉納されます
神輿や神楽をひと目見ようと
宮津市役所前には大勢の人達が来ていましたよ~。
神輿は、この後、再び氏子町を回り
15時半に漁師町御旅所(りょうしまちおたびしょ・漁師町会館の斜め向い)にやって来ます。
ここは広場になっていて、中心には盛り砂が作られていました。
漁師町御旅所にやって来ると
この盛り砂の上で
神輿を左回りにぐるぐると3度回します。
この時、担ぎ手の皆さんは神輿を肩から下ろし
地を這わすような姿勢で行なっていましたよ。
※『神輿を腕(かいな)で持て!』という意味の「かいなー」という掛け声(合図)を上げながら行なっていましたよ。
神輿を回し終えると
今度は、神輿を胴上げするような感じで
勢い良く放り上げます。
※こうした作法は、古くから伝わるものだそうです。
この後、神輿を鎮座させると
再び神事が始まり、祝詞の奏上や玉串の奉納が行なわれました
ここで1時間ほど休憩を挟み、再び出発。
先頭歩く『威儀物行列(いぎものぎょうれつ)』です。手には弓矢を持っています。
旧三上家住宅の前を通り過ぎる神輿です。三上家は会津城下町の商屋の1つです。こちらの建物は重要文化財に指定されています。
神輿を先導している様子です。この扇子を上げて神輿に合図を送ります。
氏子町を夕方まで練り歩き
・・・いよいよクライマックスを迎えます!
氏子町を回り終わった神輿は
漁師町御旅所近くにある直線ルートを
何度も往復する『練り込み』を行なうんですね~
宮津祭の見所の1つとされる『練り込み』は
毎年、日が落ちるのを待ってから
行なわれるのが通例のようです。
この時、日が落ちるまでの間
漁師町御旅所では太神楽が行なわれています。
獅子は、鈴や剣を持って舞ったり
猿が獅子に道を清めるように催促する舞を舞っていました。
※漁師町御旅所での奉納が1時間弱で終わると、太神楽は一足先に山王宮日吉神社に帰って行きます。その道すがら『3歩進んで2歩下がる』作法で、神社へ向かう道を清めるんですね。
そして日が沈んだ19時頃より
いよいよ神輿の『練り込み』がスタートします!
「ヨイサー」という掛け声に合わせ
50メートル程の距離を神輿が何度も往復します。
※今回は20回ほど往復していましたが、その回数は毎年違うようです。
地元の方や見物客の皆さんが見守る中
神輿はスピーディーに
何度も行ったり来たりします!
浮太鼓もその背中を押すように
神輿を盛り立て、派手に打ち鳴らしますっ
担ぎ手の方々は息を切らしながらも
「まだ行けるやろ~!」と言いながら威勢よく担いでいましたね。
こうして30分ほど『練り込み』を行なった後は
一旦、漁師町御旅所に入ります。
そして、ここから『お宮入』を行います。
読んで字の通り
お宮(山王宮日吉神社)に神輿が入る(帰る)んですね
お旅所を出た神輿は「ヨイヤーサー、ヨイヤーサー」という
掛け声を上げながら
山王宮日吉神社前の石段を力強く登っていきます。
※浮太鼓も、『練り込み』同様、派手なお囃子で盛り上げていましたよ。
石段を上がりきった神輿は
拝殿で勢いよく3度、放り上げを行ないます。
それが終わったと思った瞬間・・・!!
境内の灯りがパっと消え、一面が暗闇に包まれます。
続いて還幸祭(かんこうさい)が行なわれ
神輿に乗った御霊を、本殿に還します。
※もちろん写真撮影は一切禁止ですよ。
境内にいる200人以上の人達の心が1つとなり
祭のフィナーレを迎えるんですね。
この時、宮司だけでなく関係者も警蹕を行い
全員が暗闇の中で神様を送り届ける為に
大きな手拍子(柏手)を鳴らします。
この雰囲気を例えるなら・・
物語のエンドロールが流れる中
大劇場の観客から一斉に拍手が上がる感じと似ていると思いましたっ
こうして御霊が無事に本殿に還り
灯りが点いた・・・その瞬間
全員で一斉に万歳三唱っ~!!!
見事なまでのタイミングで、本当に胸が熱くなりました。
最後まで見ていて本当に良かったです。
こうして全ての神事は20時頃、終了し
山王宮日吉神社の宮津祭は終わりとなります。
皆さん本当に3日間、お疲れ様でした。
そんな宮津祭が行なわれた山王宮日吉神社の場所はコチラ↓
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