2013-02-27 | |
テーマ:神社 |
関連:祈年祭 天道花神事(天道神社) / |
天道神社
こんにちは京子です!
今回ご紹介する神社は・・・
天道神社(てんどうじんじゃ)です
起源は古く
かつて長岡京(山城国)に鎮座していた神社で
平安京の遷都の際に
京の都へと勧請されたと言われています。
長らくの間、山城国の村々を守ってきた天道神社が
平安京へと移される際は
大勢の村人や家畜の牛までもが
沿道に並び、送り出したと言われているんですね
どうしてそこまで信仰が篤いのか??
と言いますと
長岡京に都があった792年
村に疫病が流行り、家畜の牛がバタバタと倒れたそうです。
牛が全滅してしまえば、農作業が出来ないワケですから
廃村の危機であったと言えるでしょう
そこで村の人達は、牛を救う為
連日、天道神社に祈願したそうです。
すると見事に家畜の牛は1頭も死ぬ事なく全て助かり
廃村の危機を免れたんですね!
こうした事から、平安京へ勧請される際は
村人や牛までもが沿道に並び、見送ったそうですよ
拝殿になります。祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)、春日大神(かすがおおかみ)の三柱を祀っています。
拝殿左側にある『洛陽二十五社天道天満宮』です。祭神はもちろん、菅原道真です。天満宮と道真の関係は北野天満宮 その2の記事をご覧下さい。
境内には、明治天皇の皇后『昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)』の御胞衣(えな・胎盤)を埋めた塚もあります。胎盤を埋めれば、無事に育つという習慣のもと、父親の一条忠香(いちじょうただか・公卿)が、この地に埋めたそうです。
こうして平安京の遷都と同時に
京の都にやって来た天道神社は
国家の安泰を願い、御所の付近(東洞院御池上ル)に勧請されました。
その頃の境内は、一町四方(いっちょうしほう・およそ109㎡)の
広さがあったと言われ
伝承によれば、広々とした境内に様々な草木が植えられ
四季折々の風情が楽しめたようです
皇族の側近達がしばしば訪れ、天道神社の境内で
宴を行っていたとも言われているんですよ。
境内右手には稲荷社もありました。中央にあるのが『約束稲荷神社』そして左は『八坂社』です。
入り口脇にある厳島社です。祭神には、弁財天と同一視されている市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。
しかし、その後は
応仁の乱などで度々、兵火に見舞われ
荒廃していったようです。
現在、社殿は壬生寺の近くに構えていますが
この地は織田信長より拝領したと言われ
改めてそこに祠を建て
社殿が壮健され、現在に至るというワケです
そんな天道神社の場所はコチラ↓
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